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コミュニティ
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一昨日、どういうわけか岩手県の”中山間の集い”なるものに参加することとなった。
私もよく中山間地という言葉を使うが、都市的地域や平地農業地域以外をさす専門用語らしく、なるほでIMEでは出てこない。
今回この都南キャラホールを埋め尽くす人々は、単にその地域の人ということではなく、農水省のいう、中山間地域、平野の外縁部から山間地を指します。詳細はこちら
要するに行政の制度を利用している人達なのだ。

生産効率の悪い地域であることに間違いはなく、どんな話が聞けるか、楽しみなのであります。まず最初は中山間地域モデル賞とむら・もり・うみ女性のアグリビジネス活動表彰が行なわれた。私たち出崎産直の組合員である、小林さんも受賞されました。

何があるかもわからずに参加しましたが、基調講演が楽しみのひとつ。講師紹介で岩手日報社の神田由紀 氏 ??? とことん住民力の長期連載を担当した。とことん住民力と河北新報の日本開墾はよく読ませていただいていたのでこれは興味ありますね。
さっきまでの眠気が吹き飛んでしまいました。
昼飯が焼肉バイキングはちょっとつらいわけで、さてどんなお話が聞けることやら。

演題は「岩手の中山間地域。こうすれば元気になる!」
-コミュニティを基調とした集落活動- なんか俺たちのやろうとしていること同じような感じですが。そういえば今回コミュニティという言葉を何度も耳にする。
地域コミュニティを指しているわけですが、村落の地域性と共同性という二つの要件を中心に構成されている社会。要するに集落の中で培われる生活文化、その相互交流が行なわれている地域社会、ということになるだろうか。
しかし簡単にコミュニティと横文字で言われて、中山間地で農業を営む人がどれだけ理解できるのか疑問なところもある。昔から暮らしの中で普通にやっていたことが、いま非常に大事であると。テレビなどでもよく耳にするようになったが、希薄な生活に浸かった都市部からの言葉はどうも説得力にかけるような気がする。

ちなみに中山間地域が国土面積の69%を占め、耕地面積の42%、総農家数の43%、農業産出額の38%、農業集落数の50%を占める。これが日本なのだ。

元気を出せといわれても、やっぱりおら東京さいぐだ、東京で馬車ひぐだ。
しかし、流れは地方分権から地域分権へと変る。行政もその仕組みをと神田氏はいう。
そうなると、都市部から 俺、鍛治ヶ沢さいぐだ。鍛治ヶ沢で臼ひぐだ。ということになるやも知れませんな。
(つづく)
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【2007/11/30 19:01】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
まめこき
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あわただしい毎日を過しております。
昨日の野活まつり無事終了。写真を撮る暇もなし。いきなりのぶしつけな応援要請にも関らず、快く協力していただきました農業課の皆さんには大変感謝しております。北風の吹きぬける屋外や囲炉裏での田楽、おから団子など、塗ったり、焼いたり、つめたり、それが又、とっても熟練の技に見えてくるのであります。
田代で一緒に豆腐造りしませんか。
写真を撮っていなかったことにいまさらながら、後悔しております。

しかし、小さな集落であっても利害関係というものはあるようで、良かれと思うことが、迷惑であったりするらしい。いずれはわかることと思っていても、ちょっと悲しくなるものです。

しばらく乾燥していた、今年の大豆もいよいよ殻から出さなければいけないわけで、中古で買った、最新鋭のまめこき機の登場です。
中山間地の大豆の収穫作業はこんなもんでしょう。

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大型機械で刈り取るなんて予算的にも、効率的にもどだい無理。ちいさな原始的脱穀機で一本ずつ回転している機械の中に入れて、もぎとられ、豆が落ちるのを待つ。
歯車みたいなのがエンジンでがんがん回っているわけで、手との距離わずか5センチくらいでしょうか。引っ張りこまれたら手の豆を脱穀されるどころか、腕からなくなってしまいそうです。
豆の根は堅くてとげのようで、手に刺さるし、手袋をすると引っ張りこまれたときに危険だし、そんなことを考えていると、Vベルトが伸びきって回らなくなるし。

何を使って豆を収穫しようが、手段で豆の味は変らないんだよね。もちろん栽培では変るけれど。そうなると手作業で脱穀したから高い豆腐にはならないんだ。
収穫量だって大規模な土地があるわけじゃないからそれなりだし。そうなると、非効率的で、生産性の悪さを、付加価値とする何らかの手段なり、工夫、そしていいものでなければ、世の中の消費者に認めてもらえないのが実情なのである。

そういえば、味噌を家で造る人が増えているようですね。でも豆までは中々つくれませんから、田舎から買うことになる。買う身になるとずいぶん高いなァ。でも売る身になると、脱穀機と豆の根で傷ついた指に貼るキズバンの分くらいは上乗せしたくなるのが心情というものでしょう。エンジンのガソリンも値上がりしたよなァ。

ちなみにガソリン使ったら、木を一本植えると、CO2を削減したとみなされて、安くしてくれるとかないですかね。
【2007/11/24 22:49】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明日は野外活動センターまつりです
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明日10時より野外活動センターまつりとおせりが開催されます。
場所は宮古市田代 野外活動センター (スケート場) です。

今年もキジが獲れないので、鮭汁を無料で振舞います。私たちのつくった豆腐をいっぱい入れますので味は最高でしょう。

田代の収穫物の販売、串団子、おでん、などなど、今では中々見れなくなった的屋さんも並びます。秋田からは道具屋さんも来ます。

おせりでは昔ほどではないのですが、色々なものがせりにかけられます。

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私たち加工部会では今日豆腐を造りました。
明日は農業課さんのお手伝いをいただき、田楽、豆乳ドーナツ、おから串焼き団子、豆腐の販売を行ないます。味にうるさい私がやっていますから、絶対おいしいといっていただける自信を持って、出します。

場所はせっかくなので隣接の加工施設で行ないます。囲炉裏のある工芸体験室で炭火を使いおから団子を焼く予定なので、ゆっくり座って温まりながら、色々味を見ていただきたいと思います。何しろ寒いです。温かい服装でいらしてください。

豆はこのスケート場のすぐ近くで収穫されたものです。

田代剣舞やゲームなども楽しめます。

皆さんお誘い合わせの上お越し下さい。

【2007/11/22 19:54】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
自分が楽しむこと
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何かをやろうとしたとき、私は歳だからとしり込みをする。仕事があるから参加できない。それぞれにもっともらしい理由付けをする。しかし、結論から言わせてもらえば、その企画に魅力がないからに違いない。苦労したって何の見返りもないじゃないか。ということだ。金銭だけではなく、心の満足度も含めてである。

中山間地などは、今まで、誰かに企画してもらい、あるいは販売してもらい、補助してもらう、つくってもらうなどの農協や行政に頼らざるを得ない現実があった。
しかし何かをしてもらっても、有効な手段を見出せずに、うまくゆく例は少ない。
経営的手法、を知っている人間が少ないからだ。農民は作って収める、それで長い時代を経てきたのである。それは行政も同じで、公共施設、公共物で設けてはいけないという約束事があるらしい。だからこの建物でこういう風にして儲けなさいなど指導できないのだ。

やがて、さまざまな優遇措置が撤廃されるとともに、自由に売り買いができる時代がやってきたのである。そして、地産地消、食育、グリーンツーリズム、など追い風もあって、自分達で販売できる直売所が立ち始める。

自分で価格を決め、お客さんと相対すると、商売としての面白さ、経営的判断が身についてくるのである。しかし企業と違い品質管理には個人差が大きいのも現実であり、品質を忘れた効率化は自殺行為だという昔の教えを思い出す。

これは生産者としては嬉しく、楽しいわけです。直接お客さんの評価であり、現金収入となるわけですから。売れるものを作ろうという計画的栽培もできるようになる。
おのずと意識は変ってゆくのである。これは流通業界にとっても脅威であろうと思われる。
生産者が製造業と手を組み販売するとどうなるか。そして全国の直売所の組合がおたがいに手を結んだら。

そしてもうひとつは、IT環境が進歩しているということだ。回線さえあれば世界の情報が瞬時に見れるのである。

それでは楽しくなる仕掛けを誰がつくるのかということになる。誰でも敷いたレールの上に乗っかり、あれこれ言うのは簡単であり、得意なのだ。しかし、そのプロセスは決して楽しいことばかりじゃなく、センスがなければならないことも知っているのである。
【2007/11/20 17:29】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
自然の中で
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一本のロープに身を委ね、どんどん上に登ってゆく子ども達。いや子どもばかりではない、大人だって楽しいのだ。
自然を相手に真剣に遊ぶということは年齢、男女問わず夢中になれる。人間本来の本能の目覚めなのかもしれないね。

狩猟民族、農耕民族、どちらも真剣に生きるために、そしてそれが楽しみでもあるが為に、やってきたことなのだ。遊びはそのための訓練でもあるわけだ。

中山間地で生活を営む人々には未だにそんな本能的な生活が残っているのだと思う。
だから一年中、何かをつくり、山の恵みを採り、生活しているのである。
そして先祖が残してくれた財産として、守ってゆかねばならないという気持ちが残っているのではないだろうか。

だから、山の中では多品種少量、季節ごとに色々な作物を植え、生活してきたのであるが、それだけで生活できない現状となった。要するに贅沢になってきたわけです。
そこで、お金を少しでも稼ごうと、酪農、水田、などに力を入れだすのであるが、需要と供給、価格のバランスが崩れると、影響がすぐ出るのはこういう地域になるわけです。

最近では収益の良い安全な作物をつくり、そして自給率を高めようという動きになってきているが。食育などという動きもこの一環であろう。
※食育によって国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的としている
ということらしい。
だが、パッケージで判断して、偽装問題が発覚してから騒ぐ現状を今一度見直す必要があるのではないだろうか。
要するに中山間地の生活は自給自足に近いものである。毒キノコやトリカブトを食べても誰かのせいにもすることなどできないのである。
スーパーで買って食べている国民もまた、そのものの価値を知る必要があり、理解する必要があるのだ。実際栽培して、同じ大きさ、同じ形、同じ色、同じ味、のものなどできないのだから、それを統一した規格でなければいけないなどと考える消費者にも問題がある。

しかし、この流通に革命が起ころうとしている。生産者が直接販売できる時代になってきたからである。これは中山間地の生活を考える上でも大きな変革なのである。
【2007/11/18 10:29】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
寂光の浜
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ひさしぶりに浄土ヶ浜へ車を走らせる。この時期は交通規制が解かれ、車で浜まで下りられるのだ。カーブを曲がると赤松の間から白い岩肌の浄土ヶ浜が見えた。車を止めてシャッターを切る。ここを舞台に映画をつくりたいと考えてから何年たつだろう。
今日はツリークライミングの体験があるということで、見学に行くついでに寄り道です。

ツリークライミングとツリーハウスはだいぶ前からやっていることは知っていて、ジョンギャスライト氏がFM放送で話しているのを聞いてやってみたいものだと思ってはいた。最近ではアウトドア雑誌なんかでもよく見かける。

実は、この鍛治ヶ沢でもツリーハウスを造ろうかと、滝が見える場所に木を植えた。大きくならないと実現はしないだろうが、それもまた楽しみだ。(私が植えたわけではありません、いろんな話からそうなったわけですけど)、でそのへんでツリークライミングができないものかと、歩いてみるがそんな大きな木は中々ない。

考えてみると、まず中山間地は私有地である。ゆえにある程度大きくなると原木椎茸のほだ木として売るのである。その後杉や松を植えることも少なくない。しかし最近は杉の値段があまりにも安すぎて売れない状況にある。杉がもてはやされ、みんなが杉を植えた。その当時誰がこの状況を想定したであろう。おそらく得をしたのはスギ花粉症の製薬会社と医者ぐらいだろう。

そんな風に山の木を売ったり、その木で椎茸を栽培したり、わずかばかりの田畑で、取れる作物を細々とつくり、晩のおかずや、親戚のうちに配ったりするぐらいのものだ。
米作りは改田事業と品種改良のおかげでこんな山間地で日照時間が短くてもとれるようになった。しかしその田んぼも草が生えたままの状態が見られるようになってきた。高齢化と人口の減少、そして採算が合わないのである。

だがそればかりではない、あの手この手の策を、農協さんやら行政から指導いただくのだが、なぜか破綻してゆくのである。借金だけが残った話はどこにいっても耳にする。小さな集落の中で一つや二つはあたりまえの話だ。何が違うかといえば規模の大きさである。こんなところに大きな会社ができたためしがない。農業だっておんなじだ。そこで集落営農という新しい形が提案されだす。根本は効率を上げて利益を出すという企業的発想であろう。しかし日本という国は島国山国である。アメリカなどのような生産方式をすべてに当てはめることはできないのだ。だがここに面白い現象が現れる。物が何でも食べられるようになると、形や色や味にこだわりを持ってくる。やがて安全で安心なものへと要求は高くなってゆくのである。
※ 最近のニュースを見ているとだます方も悪いが、パッケージの印刷に惑わされ過ぎてはいまいか。もっと自分の味覚を信じたほうがいいのではないだろうか。
【2007/11/17 17:42】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
田舎に何を求めるの?
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晩秋の鍛治ヶ沢から

豆腐づくりも水の冷たさがこたえるようになってきたが、来週はどれくらい造ればいいのだろうか?全く予測がつかないのである。

何をつくったらお客さんは喜んでくれるのだろう。豆乳ドーナツ、豆腐田楽、どちらも一度食べた人には好評だが、おから団子を囲炉裏であぶって出したらとの声も。
それもいいねェ。

お客さんの満足に応えることのほかに、当然自分達もそれなりの満足感なり、達成感なりがなければやることの理由を見失ってしまうことになる。

我々はなぜ、ここでこんなイベントをして、お客さんを呼ばなければいけないのであろうか。
そうなると、何でこんな不便な山の中に住んでいなければいけないのだろうということになってくる。みんなまちに出て働く、ここにいても生活できないということだ。
野外活動センターの目的は?ただ寒いからスケート場になっただけではないはずなのである。村の爺さん婆さんがオリンピック目指して滑るわけでもない。
村の活性化のためか?活性化などという漠然とした言葉は嫌いである。この言葉自体に何の具体性も見えないのだから。

政治家がよく国益という言葉を使う。村の場合は村益ということになるが、要するに損益ということだ。この村が裕福になるということであり、その目標を追い続け暮らしているということになる。縄文時代からだ。子供の頃はどこにでも土器や矢じりがあった。
リゾート開発などという言葉がもてはやされた時代もあったが、日本中どこにでもある中山間地の村には目は向けられなかった。

しかし、昔から存続しているという事は、食べるもんがあったからだ。それで暮らしてゆける時代があったからだ。自分達で生きるすべを知っていたからでもある。
電気に水道、ガス、電話、使わざるを得ない時代になった。当然若者は町に出て働く、ガソリンの値上げとともにますますここに住む理由がなくなるのだ。
そこで、何とかこんな村でも収益を上げられないかと、行政も考え始めるのである。



【2007/11/16 18:36】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
屋活まつり
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さて、来週11月23日は私の暮らす田代でおせりと野外活動センターまつりが開催される。
この機会に中山間地と呼ばれる、山間の里はどうあるべきか、独断と偏見で考えて見ましょう。

宮古広報の表紙を大きく飾る野外活動センターまつりの紹介。

世の中まつりブームで、年から年中何とかまつりなるものをあちらこちらで開催している。
これは神様の祭りとは全く無縁のものが多く、そのせいかひらがなでまつりと書いている場合が多い。しかしこうなるとお客さんもまつりと名がついたぐらいじゃ来てくれなくなりました。

産業まつり、農ハウフェスタ、なあどまつり、何じゃこりゃ。やりゃいいというもんでもないだろう。経費もかかってるだろうに。まず主催者の意図がよくわからない。しかし昨日のサッカーの試合に6万人が応援、高い金出してまでかけつけるサポーター。お客さんがそこで最高の満足感を得られるからだ。イベントとはそういうものだと思っている。

来てくれるお客さんの満足度を最優先に考えられているかどうか、そこが大事なのだ。
ここでいう満足度とは単に腹いっぱいにすることではない。以前書いたように体験を汗流して準備し、教えるのに無料でやることが満足ではなく。汗を流し準備していることを感じて、作ることこそが本当の満足を得られるのである。

これは田代の屋活まつりも例外ではない。教育委員会のバックアップのもと定例的に惰性でやっている感があるのだ。始めた年は多くの人でにぎわったが今ではお客さんも少なくなってきている。そこで苦肉の策でおせりと同じ日にした。しかし村の人達はおせりの方が気になる。何しろ歴史は古く、冬を越すに当って、村人にとってなくてはならない競り市なのだ。

家畜、穀物、野菜、骨董品、そして出店が並ぶ。家具屋さんも来ている時代があった。
そこでウサギや鶏はさばかれたりもする。酒を飲みながらの掛け合いが面白く、それは一日中続いた。今でも同じようにやっているが昔ほどの賑わいはなくなった。

このイベントは自分たちが楽しむのか、お客さんを楽しませるのか。中途半端な状況になってきたのである。
【2007/11/15 13:38】 | 中山間地の農業 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
小春日和
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色づいた木の葉も枯れ色になり、散り始める小春日和。
わずかに残ったもみじが、黄色の柔らかなフィルターをつくる。
足元に落ちた葉にもったいなさを感じながら踏み込むと、重なり合った葉の隙間から、青い空が見える。

こんなひと時がとっても贅沢に思える。その美しさに心惹かれるからなのだろう。

今日雑誌を読んでいたら、進化は必然ではなく偶然の組み合わせで多くは起こっているらしい。私なりの解釈なので詳細はニュートンでも読んで下さい。

しかし結果は一つしかないのだから、今があるためにはそれは必然であると考えるのが自然なのかもしれない。

ちなみに、綺麗な風景に出会うのも、いい芝居なり、いい演奏なりに出会うのも偶然の方が感動は大きいものである。

でも、黙って偶然を待つことよりも、そこに近づこうと一歩踏み出すことは偶然が起こりうる選択肢が広がることになり、多少なりとも地球の青さも戻ってくれるに違いない。

昔の空はもっと青かった。地球は奇跡ではなく生まれるべくして生まれ、今そこで暮らしているのである。

【2007/11/14 15:51】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その24
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劇研麦の会 第66回定期公演の幕が開く。

ここからは私も台本と役者の台詞から目が離せないので写真は撮っていないが、お客さんに喜んでいただける芝居になることを願いつつ、効果音をスタートさせる。いつになっても指先に汗がにじむ。この緊張感もいい刺激にはなるのだが。

緞帳の裏で最後まで台詞と格闘する人もいる。カメラを向けると集中力が途切れるからやめてくれと断られる。みんなそれぞれに緊張し集中しているのである。
ソデでは客席の状況が画面で見れるようになっている。お客さんが入るにつれて緊張感は高まる。そして緞帳が上がるとその緊張感から開放され、自分を取り戻し、登場人物へとなりきるのだ。

やがて、1時間半の公演は終わりへと向かう。今回の演出の試みとして生で太鼓を叩くシーが設定された。その太鼓の音にお客さんは魅了される。あばれ太鼓の田代君が入れ替わり叩いた。

ホッとする。救われたような気がした。

終わった。そして今まで味わったことのない疲労感、何がどうという単純なものではない、説明のつかない何かがいつもと違うのだ。
そしてこの芝居の難しさを痛感した。今回の公演で多くの課題を感じたのは私だけだろうか。

長い歴史の中で変らなければいけないもの、引き継いで行かなければならないもの。そして何を表現し、魅せるかは重要な問題である。
南野氏の演出はすばらしい、後はそれをどれだけサポートすることができるかなのだと思う。

今は亡き田中茂氏の語る 海の太鼓 、その声がいつまでも私の耳に優しく語りかけていた。

今回の公演に際し、多くのご声援いただきありがとうございました。
第66回定期公演も無事終了いたしました。これからも劇研麦の会を宜しくお願い致します。





【2007/11/12 10:59】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その24
いよいよ公演を明日に控え、舞台のセッティングです。
(画像が多いのでサムネイルで出しました。画像をクリックしてご覧下さい)

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地絣(じがすり)を舞台の床に張ります。そして大道具をセッティングします。
大道具は岩とか壁など、場面転換が簡単にできるよう人形たてを使い、固定してゆきます。

もちろん照明もあらかじめ場面ごとにセッティングし、立ち位置に照明が来るようにセットします。ホリゾント幕で背景を作り出します。季節や時間、立体感を作り出すのも照明の効果です。

そこに音響効果、衣装、小道具でさらにその状況を作り出していきます。

当然幕も場面転換で大きな役割を持ちます。一番前にある幕が緞帳、暗転という転換もあります。これは幕を下ろさずに場面転換するもの。さらに今回は暗転幕を使います。
この場合後ろではセットを替え、幕の前では演技ができる。

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照明は基本的に調光室でコンピューター制御で操作します。今日見学に行ったら最新の器械が入ってました。これもやってみたいと思ってしまうのです。
音響は客席から音を聞きながら私がミキサー(卓と呼んでいます)を操作するのですがスピーカーは会館のセットされたものを使うので、音響室のミキサーへ送ります。
こちらも最新の器械が入っていました。20年以上前から出入りしていますが、ようやく今風になったなと思うのであります。こちらもコンピューターでしょう。
最近こんな機器の雑誌は読んでいないので始めてみましたがあるのはフェーダーのみ、後はモニターの画面の映像を見ながら操作するようです。俺のパソコンソフトと同じようなもんかな。

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そして楽屋、ここは役者さんがメイクしたり、着替えたり、休んだり。基本的に演劇ではどうらんを顔、手、足などに塗り、照明に映えるように、それぞれの登場人物の個性を作り上げます。みていると結構面白いのですが、笑ってはいけないのです。長年携わっていると、これもいいにおいだなと感じるようになります。この頃になると緊張感が高まります。頭の中では最後の台詞の確認です。気持ち的に開き直る場合もあるのですが。

そんな感じで最後の、いや明日も一回あるらしいが、リハーサルが開始されました。
南野氏の演出は厳しい。何度もだめだし。練習場と大ホールの舞台では広さが違います。
立ち位置はお客さんの側から見るととっても重要で、何度も繰り返しチェックする。
何気なく自然にやっているようですが、間隔、向き、あくまでもお客さんに見せることが前提なわけで、失礼のない様に、全体を見渡せることが大事だったりする。
当然声も聞こえなければいけない。テレビや映画と違うところなのです。

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でも、幕が開いたら、その芝居に自分が入り込んで、楽しむことが一番ですね。
客席から私も見ているのですが、効果音の失敗は許されないわけで、どうしても台本のほうを追いかけてしまう。まだまだ未熟だなと思うのであります。

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むがしむがしあったどサ。この太鼓は一度ただげば浜は大漁、二度ただげば・・・・・。
欲の皮をつっぱらせた長者どんと、美しい娘の話だどさサ。

明日の本番を皆様お楽しみに。  午後1時開場 1時半開演です。
【2007/11/10 23:05】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その23
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豆腐を作っていると、窓越しに何か降って来たように見えた。雪?よくみると唐松の葉がさらさらと、粉雪のように舞い降りてくる。そういえばいつの間にか水の冷たさがかんじられるようになった。

いよいよ、定期公演も明後日にちかずいてきた。今日は大道具の搬入と音響設備の設置です。役者の皆さんは時間を惜しんで練習に熱が入ります。ホリゾント側から撮るとこんな感じ、この舞台の匂い、いいなァ。
舞台は客席から見るのもいいが、舞台裏というのもまたいいもので、裏方というのがとっても面白かったりする。今年も役者は何とか揃ったが、裏方が少なすぎる。

大道具さん2名のみ、OBの皆さん応援宜しくお願いします。今年は大ホールということで物も大きいし、木村さん、一人走り回って大道具の作製がんばっています。ダンドークではもん太役立ったんですよね。NOV9-2.jpg


今日は搬入と組み立て、明日は朝から仕込みに入ります。地絣(じがすり)をはる作業からですね。照明は会館の方にお任せ、未だに舞台用語になじまないわけですが、こうやってみんなで舞台を作り上げてゆくその過程が楽しくも有り、大変でも有り、すべては最後にお客さんから拍手をもらったとき感動へと変わってゆくのであります。

明日は59年間繰り返しやってきたであろうその舞台裏をお伝えできればと思います。これだってにわかにできるものじゃなくて、田中茂氏をはじめとして先輩方が積み重ねてきたからこそ、みんな手早くそれぞれの役割をこなせるのだと感じるのであります。

公演まで後2日、天気予報は雨、こんな日は芝居を見るのが一番でしょう。
11日(日) 午後1時開場、1時半開演です。
大人800円 中学生以下無料です。この機会に入会も考えてみたらいかがでしょう。


【2007/11/09 23:43】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その22
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昨日、高浜公民館についてのコメントをゴルゴさんよりいただきました。
アイルランド公演の後、会長が田代さんに代わり、磯鶏公民館が立て替えとなった時期、高浜公民館に練習場所を移したということです。詳細はコメントをご覧下さい。ということは27年くらい高浜で練習をしているということになるでしょうか。

田中茂氏と劇研麦の会が注目を浴びた全国青年大会演劇部門、戯曲作家田中茂が臨んだ最後の青年大会となる明治神宮参集殿での上演。今でも夜行列車に揺られ、通路に横たわり仮眠する田中茂氏の姿が眼に浮かぶ。

もう一度、この作品で最優秀賞をと思っていたに違いない。そのとき近くで田中茂氏と田代鉄男氏の会話を聞いていた私は、審査員の側でもおかしくない人が、生涯現役として、さらに上を目指すその姿勢に、感心するばかりであった。

この頃、役者として頑張っている若者達には一つの苦悩があった。
田中茂が作り出し、名声をもつかんだ麦の会の歴史を背負わされること、それゆえ自分たちがやりたい芝居がほかにあっても、田中作品しかできなくなっている現状。そこに当時を知るOBから追い討ちをかけるように、昔の麦の会はこうだった、という説教じみた昔話を聞かせられることだ。
しかし、その歴史がつくり上げた恩恵もまた計り知れないものがあるのも事実である。

その翌年、田中茂氏は全国大会でなんとしても最優秀賞をと欲張って体力を使い果たしてしまったらしいと書いている。体調を崩し入院、手術。”もう演出は無理なんだから、やめどがんせ”と言われだし、夜の外出はやらないことにしたとある。

そしてこの年の定期公演は林黒土のおかめをやることとなる。若者たちの思いを察した田代会長の配慮だったのか。

会は私がいなくても、田代会長を中心に順調に伸びた。”脱田中路線”が少しずつ出来上がればこれにこしたことはない。いつかはそうなるのだと思う。淋しいような嬉しいような、38年の演劇活動の中で、はじめて味わうことであった、とある。
また、来年はけいこ場から汗がしたたり落ち、真剣勝負のような、炎の演出をもう一度、と結んでいる。

田中茂の芝居にかける貪欲なまでの熱意、動けない自分、一人歩きし始めた麦の会への複雑な心境をこの定期公演で感じていたのである。

むかしばなし 海の太鼓 上演まで後4日  
【2007/11/07 10:58】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その21
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劇研麦の会の練習が行なわれている高浜公民館。
この写真に懐かしさを感じる麦の会OBの方も多いのではないかと思われる。

この机を囲んでお茶を飲みながら今までどれほどの会話が交わされたであろうか。
この机には今は亡き田中茂氏、田代鉄男氏の汗と涙、いやこぼしたお茶やコーヒーのシミが残されているはずなのだ。

今では時代も様変わりし、机を囲んで携帯電話をいじる姿が多く見受けられるようになった。しかし麦の会の芝居はいまだこの高浜公民館をベースとして、59年間の歴史を受け継いでいるのである。

いつのときからこの高浜公民館を使うようになったのか、手元の資料では探し出せなかったが、このブログをみて、ご存知の方はコメントをいただけるとありがたいのであります。

この高浜公民館から麦の会の受けた恩恵は計り知れなく。必ずしも高浜の住民でない私たちにこの場を提供し続けてくださる高浜地区の皆さんには感謝しなければいけないと思うのである。今でこそ9時までとか時間を決めてやっているが、私が初めて参加した頃は夜の11時頃までは普通にやっていたのだ。近所にとっては迷惑だったに違いない。

そんな影の支えがあって初めて、この麦の会は存続しえるのである。

高浜で練習をしている頃は田中茂氏は築地の方の自宅から、バイクで練習にやってきていたと記憶している。もう11月といえばこの地方は寒く、襟巻きを首に巻いていた。

昭和58年(1983年)海の季節第2部の公演の頃である。その翌年宮古で岩手県青年大会が開催された。麦の会は田中茂作 海の息子達よ を上演する。この作品で麦の会は6年ぶりに全国青年大会の切符を手にする。ちなみに全国青年大会はその名の通り、青年でなければいけなく、サッカー競技みたいな年齢枠があるのだ。若者を会員として勧誘する手段として、存続さを維持させる手段として、東京で行なわれる全国青年大会出場という目標は大きな牽引力になっていたのではないかとおもわれる。

海の太鼓 上演まで後5日 宮古市民文化会館 11月11日 13:00開場 13:30開演
【2007/11/06 11:19】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その20
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公演まであと一週間、日曜日も練習です。
さて私、産直のイベントも終了したので高浜公民館へ録音機材とともに駆けつけます。

今回は劇中で唄をかぶせたいとの演出家の要望に応え、昔生録で使っていたマイクを倉庫から引っ張り出しました。何しろ25年以上も前に購入したもの、果たして動くのであろうか。
バッテリーは当然なし。早速ネットでメーカーに確認。そんな昔のマイクに取り合ってくれるのか心配でしたが、さすがプリモさんです。

今は水銀電池は製造中止で代替の電池をこんな風にして使って下さいとの説明。
今でもマイクのユニットは使われているみたいで、さすがにいいものはいい、ロングセラーなのだ。今では量販店に聞いても軽くあしらわれるのが関の山、メーカーさんの親切な対応とネットのありがたさをかみしめるのでありました。

それでは早速レコーディング開始、臨場感を出すために2本のマイクを使いステレオで録音します。スタジオのようなわけには行きませんが、そこは長年きたえた声でカバーします。
私のだめ出しに、応えてくださった会員の皆さんご協力ありがとうございました。

しかし、こういう機材も年々変わっていきます。何に録音してるの?どうやってるの?デジタルの世界は目に見えないので、説明も難しく、昔はフィルムやテープは編集といって手でつないでいたもんだよね、とY社長と古きよき時代?を思い出して、うなずきあっていました。

もう一つ、ネットのありがたさを感じた出来事がありました。このブログのタイトルにもあります田中茂氏のご子息から、このブログを見つけて、応援のメッセージをいただきました。
そしてなんと田中茂氏の肉声で語る”海の太鼓”を送っていただきました。
この作品を作ったばかりの頃録音されたもののようです。1977年発表の作品ですから、30年くらい前の声である。盛岡から鈍行でガタゴト揺られながら東京まで連れて行ってもらったことが懐かしく思い出され、今又、励ましの言葉をかけていただいているように思えるのでありました。
【2007/11/05 15:32】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
競うことの楽しみ
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じゃんけん大会もなんか賭博場のような怪しい雰囲気につつまれていますね。

今日と明日シートピなあどで行なわれている創立4周年の感謝祭。
ことしから?なあど祭りというらしい。

私の所属する産直組合では、日頃お買い物をしていただいているお客様の為に、感謝の気持ちを込めて、面白企画と賞品を多数用意しております。
さすがにその時間帯になると大勢のお客様が集まってきます。

中でも勝負物は人気が高い。りんごの皮むき大会、じゃんけん大会、指コプター飛距離競技。
人間いくら裕福になっても、いくつになっても、こと何かを競うということになると真剣勝負になる。いくらゲームであっても審査員は正されるのである。フェアでなければいけないのだ。

お客様を楽しませるということは、それなりの覚悟で望まなければ大変なことになりますよ。

イベントというものはそういう風にお客さんの競争心をあおる要素を兼ね備えていないと中々、うまくいかないのかなと感じる一日なのでありました。
いくつになってもドキドキしたいと当組合員のIさんが話してましたが、そうなんです。そのドキドキ感と満足感が大事なんですね。

本来、ものを食べることも、恋をすることも、命がけの競争だったわけで、その本能を少しくすぐると、なんか楽しいのであります。
お酒を飲むのも、未知の領域に踏み込むドキドキ感がやめられないのかも知れませんね。
※ 中毒になると別問題なので何事も控えめに。

そんなこんなで、もう一日、産直組合ではたくさんの賞品を用意して、皆さんに勝負を挑んでいただきます。大人も子供も楽しめる企画ですからおいで下さい。

 ※産直での企画は午後からです。
【2007/11/03 19:17】 | 出崎産直はなあど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その19
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里の紅葉もそろそろ終わり、寒い季節へとうつり変わって行きます。

毎年この時期に麦の会の定期公演は行われる。宮古市民文化祭に参加しての公演だ。
昭和57年、58年の定期公演で初めて、劇団仲間のために書いた戯曲、海の季節が劇研麦の会で演じられた。
当時、田中茂氏は3時間を越す劇の上演は無理との思いから、前半、後半に分けてやっている。このとき当時を振返り、私が書いたというより、中村さんの劇作法が随所に見られ、私自身は、尻を叩かれながら、何回も書き直した思い出があります。いつか会でも上演してみたいと思い、今年やっと舞台にのせることができました。と書いている。
このとき演出を担当したのが今は亡き田代鉄男氏なのである。
そして田代鉄男氏が最後に取り組んだ作品がこの海の季節なのである。

昭和58年海の季節 第2部 このとき初めて私は麦の会を知ることとなる。私の友人が芝居をやっているというのだ。彼が自転車で日本一周から帰ってきたばかりの頃だったと記憶する。幼馴染のサトミちゃんに手伝ってくれと頼まれて入ったらしい。麦の会の常套手段だ。
細越氏も以前書いているように、会員はこのようにして役者として引き込まれてゆくのである。俺?おれはそもそも音響の方に興味があって、手伝うんなら面白そうだということで、ついていったわけだ。

当時、高浜公民館の2階で読み合わせをしているところにいったのであるが、なんか緊張感があって、なぜだか南野氏がとっても怖い人に見えた記憶がある。今思えばそれだけ熱がはいっていたのだ。ただその頃の私には全く異質の世界がそこに見えていた。やがてそこには同世代のメンバーの苦悩が見えてくるのである。
【2007/11/02 20:44】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その18
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今年で66回を迎える定期公演、むかしばなし海の太鼓を演出する南野氏、磯鶏公民館にて。
彼の指導は動き、そして間を重点に、繰り返しなぜそうなるのかを説く事から始まる。
生活中で、動く、止まる、判断する、そこに言葉が出てくる。そのごく自然な状況を限られた舞台の中で最大限引き出そうとする。「いい、こう動くことによって、この人は言葉をかけやすくなる、そうでしょう」。休憩時間私に、俺の台本には何も書いてないんだよと話す南野氏。「演出って疲れるんだよ」、帰り際駐車場でふと漏らす。そして今日の練習について私と立ち話が始まる。そんな話を聞く時間が私にとっては楽しみでもある。芝居のおもしろさにふれられるからだ。

先日、練習を終え、効果音の打合せの為、訪れた際。こんな質問をした、この芝居は誰が主役で何を田中茂氏は伝えたかったのだろう。南野氏の応えは、それぞれが主役である。人間の欲というものはいろんな形があるということだ。そんな話を始めると時間はいくらあっても足りなくなる。そんな繰り返しで田中作品の面白さがわかってくる。

さて、田中茂氏はこのむかしばなしにどんな思いを抱いていたのであろう。昭和53年の定期公演の際書いた内容に面白い記述を見つけた。
古い句に”おかしうて、やがてかなしき鵜飼かな”というのがあった。鵜が魚を人間にとられるさまがおかしいと思っているうちに、何ともあわれで、かなしいものだ、というようなことだろう。悲劇は喜劇であるという事は私の姿勢だ。悲劇をかなしい面だけで書いたことはない。悲しみの中にいる人達の感情や動きは、まじめであればある程、はたからみれば、こっけいであることが多い。
この言葉に田中作品の一端が見える。日常の海の生活を描く作品の中で描ききれない人間の滑稽さを、もっとストレートに出す為に、むかしばなしという形で描いていったのではないかと思われるのだ。ほらふき・笛吹き・欲つっぱり、海の太鼓、山姥かなしや物語、笛吹き峠、など昭和53年から58年にかけて書かれた作品である。この時期はほとんどむかしばなし的作品だけであることから、何か心の変化があったのかもしれない。
【2007/11/01 19:51】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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