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実り
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私の住む鍛治ヶ沢も実りの秋を迎えます。

山が少しずつ色づき始め、稲穂が黄金色に輝き、冬を越し、来年の秋までの食料を確保する季節です。

そんな折、宮古市では産業まつりが開催されます。
私たちの鍛治ヶ沢産直会や、加工部会では豆腐や田楽、野菜、漬物、キノコなど自慢の生産物を持ち込んで参加します。

開催は10月3日(土)、4日(日)です。我々はシ―アリーナの中、詳細は追って書き込みます。

何しろ食べ物がおいしい季節、豆腐屋さんもいろいろ出るようですから食べ比べてみてください。

食欲の秋に次いで芸術の秋というのも有りますが、いよいよ劇件麦の会も定期公演に向けた練習が行われているようです。詳細は後日。
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【2009/09/25 17:36】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
バッタリー村へ
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盛岡への所要ついでに久慈を回ってバッタリー村を訪ねた。
腰痛がひどく、運転はできないがおかげで長い道のりを、本を読みつつ楽しいドライブとなった。

バッタリー村の村長宅では前日全国縄ない選手権大会が開催されたとのことで、木藤古村長と応援の学生さんたちが後片付けを行っていた。
バッタリー村については私が紹介するまでもなく名の知れた活動集落である。

見学の許可をいただき、周辺を見ながらお目当てでもあったロッキーの小屋を見に行く。
ところがどこを探してもロッキーが見当たらない。村長に尋ねるとこの夏死んでしまったそうだ。
とても残念である。村長も相当さびしそうで、いろいろとロッキーの話を聞かせてくれた。
そして写真を持ってきて見せてくれた。毛を刈って、前日まで一緒に散歩をしたそうだ。

私が以前写した写真である。

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風貌といい何とも愛きょうたっぷりで、バッタリー村を象徴するマスコット的存在だったと思われる。
前回は近ずくこともなく帰ってきたが、今回はと思っていたのだ。
12歳 だったそうだ。

別の小屋ではミニブタが誕生していた。そっちにも学生さんたちがいた。名前を考えているところらしい。
しかし山の生活に触れたいとは言え、好きこのんで遠い道のりを、ここまで来るにはそれなりの理由があるだろう。その最大の魅力は何と言っても村長、木藤古徳一郎さんそしてお父さんである徳太郎さんなのだろう。そして愛犬たち。
集落の人たちの理解と協力なくしてはできないことではあるが、行政から建物を造ってもらっても、魂となる存在が必要なのだ。

ネットワークを形成するのは人間の心なのだと感じたバッタリー村であった。

【2009/09/23 18:23】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
集団登校
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9月に入るとめっきり涼しくなり、虫の音が秋を感じる今日この頃。
時折聞こえる蝉の声がどことなく寂しく、いつになく短い夏を惜しんでいる。

コスモスの咲く道を子供たちが元気に学校へ向かう。
私、子供安全支援隊員となり、子供たちが安全に学校まで着けるようにと見守るわけだが、指導といわれてもたいして指導できる立場でもなく、このさい一緒に少し歩いてみようかとカメラを片手に後ろをついてゆく。

子供たちが会話しつつ、歌を歌いつつ歩く様子は何とも微笑ましく、私が邪魔であることは明白なのだが、ついでに通行の妨げになっているようなところをチェックしながらついてゆく。
途中先生が合流する。児童のみんなは先生が来るとさらにテンションが上がって楽しそうである。

それにしても結構歩くスピードが速く、写真を撮りながらついてゆくのはだんだんつらくなってくる。
子供たちの体力に比べてどれだけ体力がなさすぎるのだろう。こんなことでは山に登れないではないか。今度運動会もあるというがもう走れないなと実感する。

子供たちはひたすら学校を目指して歩くのだが、もう少し道草してもいいんじゃないか、などと思ったりする。直売所のあたりでメロンでも食べさせてあげようかとも思ったのだが、指導する立場の私がそんなことをしたらいかんだろうと思いやめた。でもそんなことの方が大きくなって学校まで歩いたことの面白さとして思い出すのである。歩くことが大事なのではないのだ。歩くことで体験すること、見えてくるもの、それが大事なのだ。

で、スクールガードリーダーのお話から、今世間で起きている事件、覚せい剤やら何やら誘惑の多い今日、自分を守るためには強い自分が必要で、そのためには自分に、家族に、そして住んでいる地域に誇りを持つこと、自信を持つことが大事なのだと。
それが自分自身を強く支えてくれることになるのだとおっしゃっていました。

とてもいい話で何度もうなずき聞いてきました。

低学年から高学年まで仲良く歩いて登校することは、それだけでそれぞれが成長する時間であり、昔はそれが当たり前で、そこで怒られることもあれば、喧嘩することもある。そうやって成長してゆくわけで、現代は安全に気を使うあまり、失われるものも多々あるような気がしてならないのである。

先日テレビで何処かの学校で高学年になると山に登るという内容の放送をしていた。これは危険が伴う行事で先生方の苦労を思うと現代では信じられないことなのだが、理解あっての親がいてこそなのだろう。いつかは誰でもぶつかる壁なのだがそれを少しでも体験しているという事は、たった一人で突然ぶつかるよりはずっと強い自分ができているに違いないのである。

昔、小さかった子供たちと自転車で最東端の岬まで行ったことがある。道路から落ちたら谷を転げ落ちることは承知で連れて行った。それがいいかどうかはわからないが、帰りに突然橋から姿を消したと思ったら下に落ちていたことがあった。それぞれが自転車で走っている以上、子供であれ誰であれ、自分のことは自分で乗り越えていくしかないのである。そういったことは親にとっても子どもにとってもよくあることなのだ。

ただ子供にとって、遠くからでも誰かに見守られているという安心感は必要なのだと思うのである。

【2009/09/04 19:04】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
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