こんなことも
2009-10-30.jpg

劇研麦の会の設備かと思いきや、実は出崎産直の音響機器なのであります。

出崎産直IT作戦隊ではイベントも積極的に取り組んでゆかねばなりません。しかしながらさまざまな事情がありなかなか思うようにことが進まないのが実情。やっぱりイベントをするならこんなのも必要と予算化していただきました。こんなのを揃えたら何十万、何百万するかと思いますでしょうが、こんなのに大金かけていられないということで、探した挙句の私のセレクトであります。
内容を説明しても、余り理解できる人はいないわけで、だめもとで(評価は高い?商品ですが)引き取ることを覚悟で、揃えました。
私としては大満足のPAシステムがそろったという感じです。
そんなわけでイベントを盛り上げていきましょう。

早速、来週の出崎産直の祝賀会でお披露目です。でかい会場じゃないと持て余してしまいますが、やってみましょう。

面白くなりそうですね。
出崎産直のスピーディーな取り組みはすごすぎます。

【2009/10/30 20:06】 | 出崎産直はなあど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その39
2009-10-29.jpg

開演まであと1週間ほど、昨日練習したのにまた元に戻っていると、渋い表情を見せる南野、頭の中ではどんな昔話を描いているのだろう。
音、セリフ、動きすべてはつながっているのだから、しっかり音を聞きなさい、顔を向けなさい、近づきなさい、言葉を一つ一つ明確に、そんなに威圧する言葉ではないでしょう。
次から次へとダメ出しが出る。聞いていると確かにそのことはよくわかるのだが、もっと前に出なさい、そのセリフは間をとりなさい。しかしその一歩、その人呼吸がなかなかできない。
素直に言われたまんまのことをやるという事が、どれほど難しいことなのか、わからないでもないが、演出家にしてみればとてつもなくじれったいことなのである。
役者にしてみれば自分の思い描く人物像と観客目線ではなく舞台目線から見たそのギャップに戸惑いがあるのかもしれない。そういう意味では何も知らない方が演出家は楽だったりするのではないだろうか。おそらく今回の芝居は演出家も役者も追い込まれていることは確かなのである。

私も二人芝居をやろうかと思っているんだと、南野氏は私につぶやく。思い通りにいかないじれったさと、生前の田中茂がそうだったように、芝居にかける情熱は演出では物足りないのであろう。
是非この思いを実現させたいと思った。そして見てみたいと思った。一度この脚本を読んでみよう。

役者ばかりではなく、音にも緻密なまでにこだわる。このセリフで上げて、ここで下げる。ここには書いてないけども、風の音がほしいんだよ。
当日までにCD何枚焼いたらいいんだか。CDラジカセでの音出しだから難しい。
動きやセリフの中から心が感じられるそんな舞台を目指して練習は続くのであった。

さて、田中茂氏がこの世を去った翌年、49回の定期公演は海の季節追悼公演となる。
時代は平成となる。

その翌年第50回は海の太鼓、一昨年南野氏が演出した作品である。演出は田中茂から田代鉄男へと引き継がれた。この年の亀六役を最後に坂下昇は麦の会をあとにする。

第51回の定期公演で田代鉄男が取り組んだのが、井上ひさし作、泣き虫なまいき石川啄木であった。この大作は今考えてもよくやったものだと感心する。
石川啄木役の大川原、金田一役の南野、この長台詞の掛け合いが妙に面白かったことがいまでも記憶に残っている。

第52回定期公演、海の女、この作品は岩手で行われる国民文化祭の前年で、プレ国民文化祭として盛岡劇場で公演し、その後定期公演となった。
田中茂氏が昭和34年に書いた作品で、生涯をかけた32編の中から特に選んでみた。先輩諸氏が生前の田中さんの指導で、完璧に近い舞台を創り上げた思い出多い芝居でもあると田代鉄男氏は書いている。海という永遠のテーマ、それが麦の会であると。他の芝居に取り組むほどにその思いは田代鉄男氏中で確実なものとなっていったと思われる。
【2009/10/29 20:46】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
豆腐の研修
2009-10-27.jpg

私たちはこの田代地区で、農産物等加工部会という組織で豆腐や味噌、麹などの加工品に取り組んでいるわけですが、一昨日そのメンバーで西和賀町の方へ研修に行ってきました。

ここ何年か研修を行っていないし、今年こそ行こうよという事で、研修するなら本気で取り組んでいる、人気のある豆腐屋さんにいろいろと話を聞いてみたい。
そこで研修先を検討したわけですが、私は藤沢町の皆川洋一さんのところとか、陸前高田の河野和義さんのところのきゅうりやトマト栽培の圃場を見学させていただくコースを提案。
そして、加工部会副会長さんからは雑誌で見つけた、西和賀町のとうふや源助さんの記事。

これはどちらも捨てがたい企画になりそうだが、今回は切り抜きや、地図のコピーまで準備してきました。副会長さんの企画に決定。

早速、バス会社と豆腐屋さんにコンタクトをとり、計画の立案を行う。
一方で市の農業課にも連絡を取り、内容の説明と企画についていろいろとご相談させていただきました。日曜日という事もあって同行いただけなかったのはやや残念ではありましたが、企画内容もちょっと役所向きじゃない?みたいなところもあって、しょうがないか。

一方、同じ日に二山ほど超えた集落の青倉地区で けげだす村工房まつり も開催されるとあって、そちらの方は行政機関からの応援が相当あったらしいが、我々とはスタンスが違うから比較するべくもない。しいて言えばボランティア精神的活動には感心するし、地域としての団結力には驚かされる。心はこうあるべきだ。
ちなみにひとつ気になったことが、私どもの鍛治ヶ沢直売所にこのPRのチラシが重ねて置いてあった。聞いてみると産直会のメンバーは誰も知らないようだ。
イベント自体は応援しているし、田代からも多くの人が楽しみに訪れる。あそこでがんばっている小向さんにもいろいろな面でお手伝いいただいたりしている。
誰が置いて行ったのか、公共の場ではないのだから一言くらいあってしかるべきではないだろうか。
なにが困るかというと、売り場が汚くなるという事だ。ポスターなどなら貼ってあげてもいいが、売り場にチラシが散乱するのは困るのである。
あくまでも私たちが物を売るためにきれいにしている売り場なのだから。
風も吹くし、散らかっては野菜をほしいお客様にとって迷惑なのである。
そういった部分ではいくら田舎でも私たちはものすごく厳しい。それはいい物を気持ちよくお客様に買っていただきたいという我々の取り組み姿勢である。おそらくこれ程徹底している無人直売所など他にないだろうと思われる。そこには大きな直売施設で取り組んできたノウハウが詰め込まれているからである。そんな神聖な場所?にチラシを無断で置いていくというのはどうなんだろうと思うのである。ここはボラティアでやっているわけではなく、いろいろな要素を含め、生きる為に運営している場所なのである。

そんなことを踏まえつつ、加工部会の研修はどうあるべきかを模索する。
技術もさることながら、やっぱり店主のその生きざまというものが我々の心を打つ。道具を同じにしたって、それはまねのできるものではないことをみんな知っているのである。
おそらく多くの行列のできる豆腐屋さんは研修など受け入れてくれないであろう。
しかし、ここの豆腐屋さんは違っていた。
公務員を事情があって退職し、考えた挙句豆腐屋を始めたという。家族で仕事をしたかったという事もあったとテレビの取材記事では出ていた。
とにかくお客さんがひっきりなしに店を訪れる。我々が予約した豆腐が多すぎるから減らしてくれと頼まれる。お客さんに売る分がなくなるからだという。このままではすぐ閉店しなければいけなくなるという。そんな話をしているうちにもお客さんが次々と店を訪れる。
ゆばに寄せ豆腐、木綿豆腐。試食をしてみる。やっぱりうまい。

忙しいなか、豆腐を作りながら対応してくれた。私も豆腐を作っているからわかるが、仕事中は手が離せないのが豆腐づくりだ。温度を含めタイミングがものすごく重要で、少しずれたら豆腐にならなくなる可能性だってある。申し訳なく思う。

豆腐作りがひと段落して、我々の事前にお願いしてあった、19項目の質問に丁寧に応えてくれる。その言葉の中にお客さんが来てくれている理由が多く語られている。ウルトラCをやっているわけではなく、一つ一つをしっかりした考え方のもとに実行しているのである。
1時間半余りの間、店や作業場を見させていただき、説明していただいた。会員一同納得の1時間半。
多くの言葉が我々の脳裏に焼き付けられた。
そこにはネガティブな言葉は出てこない、一切の言い訳はないのである。
そして多くのアドバイスをいただいた。おそらくいままでにこんな充実した研修はなかったであろう。
生きるために必死で取り組む姿勢は我々の求めていた研修なのである。

豆腐を買うお客様は豆腐とともに高橋さんを好きになってしまうんだろうね。

車内ゲームで盛り上がりつつ、次はわらび栽培の圃場へ、これもこれからの田舎にとっての一つの在り方かもしれないとみんなで話す。漬けておいて保存がきくしね。

さて次は、銀河高原ホテルで昼食、研修のほかにこんな楽しみ方もある。ビール工場のビールで乾杯。そのあとは温泉につかって。研修から慰安までオールインワンのパッケージである。
今回は、夫婦での参加が多かった。というよりも、そうすすめたのだ。何しろ地域の活動というものは家族の協力、理解なくしてできないのである。
だから家族で楽しく真剣に勉強し、真剣に楽しむのである。その時間を共有していれば説明は不要なのである。方向性を修正する必要も、言い訳する必要もなくなるのである。

そして何よりも楽しい研修だったのである。

ちなみに結ハウスにも足を運んだ。ここでは牛乳屋さんと、とうふや源助さんがゆい(結い取の結いである)で結プリンなるものをつくり販売している。これまた濃厚絶品。豆乳の味がしっかりと主張している。

高橋さんありがとうございました。
【2009/10/27 11:03】 | 隊長の豆腐道 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その38
2009-10-23.jpg

先日の練習で、効果音についての要望を南野氏より受ける。
早速修正作業に取り掛かるが、何しろ記録メディアの問題があり、練習と本番では違う形でしか出せないのが現状だ。

練習場所を転々としている現状では、そこに本番と同じ音響装置を持ち込むわけにはいかないのである。そうなると音をMIXして出すということが難しくなる。

その要因の一つが、本番でどう時間がずれてしまうのか予測がつかないことにある。
たとえば笛の音が流れ、人物が登場する。これだけならいいのだが、ここに風の音が流れるとする。
そうなると登場人物を待って風をとなると、笛と風の音をあらかじめミキシングしておくことができなくなるのである。決められた時間で動くのならできるのだが、緞帳のタイミングなり、出てくるタイミングなりが同じではないのである。
そして一番大事なのは間とそのタイミング、阿吽の呼吸である。
芝居の中に溶け込んでもらうにはけっして違和感があってはいけないのだ。

本番で音を混ぜ合わせるというのは何年たっても緊張するが、やっぱりこれしかないのである。
素人だから機器にこだわりを持ってはいけないし、いいことはわかっていても買えるわけもなし。
サンプラーなど使えば楽なんだろうけど、今ある機材で出来ないわけでもなく。
お客さんに感情移入させられる雰囲気を作り出すことであって、いい機材であってもそれが全てではないという事だし。

という事で本番と同じ条件下で出来るだけ練習してもらいたいのだが、キャストのみなさんすみません。とりあえずタイミングだけ掴んでもらって、あとはリハーサルで合わせましょう。

さて、演出の南野氏は頭を抱え込んでいましたが、現在5%? あと2週間で95%修正できるかどうか、彼もまた苦悩の日々が続くのであった。


【2009/10/23 23:18】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その37
2009-10-22.jpg

近くの川で秋の心地よい色彩を楽しむ。鍛治ヶ沢っていいところだよね。

さて、劇研麦の会についてだが、昨年は道化師たちの雨、そして翌年第49回定期公演のところまででした。
道化師たちの雨を全国大会に持ってゆくその前に行われた、昭和63年定期公演のパンフレットの中に田代鉄男氏はこう書いている。

麦の会第48回定期公演は41年目という新しい出発のラインでもあった。 40年間、会の大黒柱として我々を支えてくれた田中茂さんは、9月14日69歳で人生の幕をとじた。本当に悲しい出来事だった。
 元気な体になって病院を出たら”もっともっと作品を書き、芝居を創ることに情熱を燃やしたい”と張り切っておりました。その中には市民総参加のミュージカルの創作など果てしないロマンを追い求めておられました。その田中構想も星屑のようにくずれさった。
 自称、馬のような長い顔、長い腕と足、そして指先、長いものづくめで私たちをやさしくつつんでくれた田中さん。けっしていばらず、いつもひたむきな姿勢は私たちの鏡でした。あるときは”田中先生”と呼ぶと”やめどがんせえ、似合わないでば”と言っていたものでした。でも公演先に行って、プロの劇団に顔を出すと、年輩の役者さんたちから“先生”と呼ばれるのを聞くと周りにいる私たちまで偉くなったような気分になるのでした。やはり田中さんの存在感が余りにも大き過ぎることの証明だったのだろう。飄々とした体軀は、今は亡き民芸の宇野重吉さんと同じで宇野さんの生きざまに感激し、これからの芝居創りは原点にかえって、芝居のあり方、書き方、演出の仕方、演技の創造など、熱っぽく語って居られました。
 第48回公演は、会員の坂下昇が書き、演出をして初声を上げた。同作品は11月4日全国大会で上演されるがこれを糧として今後もがんばってほしい。期待するところ大である。
 麦の会のあとを受継ぐ私共は、田中さんの偉大なる業績には到底、足元にも及ばない。しかしいつの日か追いつき追い越すことを目標に、がんばるしかない。”どうだえ、元気でやってるすか、オレもこっちで書くのは初めてだから忙しくてね”こんな楽しい心はずむ便りが宇宙から舞いこんでくる日を待ちつつ・・・・・・。
 先生ありがとうございました。
           合  掌

ここに、田中茂と田代鉄男の芝居にかける情熱、劇研麦の会が目指してきたものが見えてくる。

しかしこの数年後、唯一脚本を手掛ける会員の坂下昇が会を去ることになる。
田中茂亡き後、田代鉄男の求める芝居と坂下昇の目指す方向性の違いが、若手の脚本家坂下昇の苦悩となるのである。

それはこの文章中からも感ずる部分がある。田代鉄男は田中茂という男の偉大さにほれ込み、彼の演劇人生は田中茂なくしては語れない。それは宇宙の果てまでもである。
おそらく今、田代鉄男のいう宇宙で、二人はいや、大竹伸治との3人は芝居創りに忙しい思いをしているに違いない。

田中茂を失った麦の会は、このあと田中作品とともにいろいろな脚本家の作品に取り組み出す。
それは田代鉄男が、田中茂とともに培ったものをベースに、どんな芝居がやれるのかというあらたなチャレンジであった。
屋台骨を失い、麦の会がこの後存続していくためには、会員そして観客にとっても新しい何かが必要になっていたのである。

【2009/10/22 21:57】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
里の秋
2009-10-21.jpg

鍛治ヶ沢の里の秋。
ここからだと家のビニールハウスや大豆畑が望めるいい場所なのだ。何年かすると樹木が生い茂って隠れてしまうからこんな景色も今しか見れないのである。また木を切るのは30年後くらいか?
雑木の場合生きているうちに2回ぐらいがいいところだろう。
今は木の値段が安いと言いつつ、あちらこちらで山の木が切られている。決して業者は損していないだろうが、売る方は二束三文というところで、道路事情から何からでやむなく売っているわけだ。
でも切ったからといって砂漠になるわけではなく、しっかりと次の木の目が芽を出す。

この場所にはもうすでに小さな松の木があちらこちらに生えていた。

しかし昔と違って大きなトラックがどこまでも入ってゆくから山肌がどんどん削り取られる。それは山にとっていいことではない。痛々しい姿になるのである。豪雨が来ると崩れたり、土砂が流れたりする。
格段に効率は良くなったのだが、昔馬が引いていた頃と違い環境は様変わりするのである。

文明はいいことばかりではなくリスクももたらすことがよくわかるのである。

さて、ハウス栽培は夏のメロンから冬のほうれん草へと変わってゆく。稲刈りも終わり、そろそろ大豆の収穫時期となる。その前に田んぼのわら土中にすきこむ作業からだ。
鍛治ヶ沢の直売所は今キノコで賑わいを見せている。
わざわざここまで買いに来てくれるお客さんも増えてきた。
少しずつではあるが努力が実を結んできたようである。



【2009/10/21 18:01】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
2009-10-20.jpg

今日はいつもの方角とは反対側の山から鍛治ヶ沢、君田部落を望む。
愛犬レナと山道をホンダのスーパーカブで上る。
田舎ではこのスーパーカブは何と言っても重宝する。絶対になくてはならない一台なのだ。
当然小学生のころから乗っている。どこの家でもだ。
耕運機とカブは乗れなくてはいけないのだ。法律がどうあれ。これは乗れなくては家の仕事の手伝いなどできないのだから、必然的に乗らなければいけないことになる。
かといってこれで事故ってどうのという話は聞いたことがない。
むしろ高校生ぐらいになってバイクの免許を取り、事故って死んだり、大けがをしたりという話は聞くが。
まあ、それくらい役に立つ代物である。かといって扱いやすいかというととんでもない。そんなカブに乗って山の上へ着くと雨が落ちてきた。天気雨だからすぐやんでちょうど虹が鍛治ヶ沢辺りからアーチをつくる。
昔、母があの虹の出たところには宝ものがあるのだという話をよく聞かされた。しかしなかなか手の届くところには出てくれないのである。しかし今日はどうも鍛治ヶ沢のあたりから出てるように見える。
こりゃあ鍛治ヶ沢から宝が出るかもしれないとひそかに期待するのである。

さて、昨日は下閉伊地区の直売施設で結成されている、宮古地区産直連絡会の研修に参加させていただいた。
先進事例視察研修という事で直売施設を見させていただいたわけだが、私には見てもなかなかどこがどうなのかよくわからない。
百聞は一見に如かずという言葉があるが、やっぱり私は会話しないとなかなか理解できない。
わからないところをしっかり聞かないとどうも駄目なのだ。

いろいろな研修に参加しているのだが、どうも一方通行の研修という形が多いような気がする。
時間的制約もあるのだろうが、実にもったいない。
見て理解するなど私には到底出来るようなレベルの人間ではないからだ。
私などはまずその施設なりなんなりは、そこにいる、いや、そこで苦労して取り組んでいる人たちの努力の結晶であると思うのだ。一見きれいであったり、雑然としていたり、そこにはそこの人間臭さが満ち溢れているのである。であるからしてそこを理解し、学ぶためにはその人間の心に触れなくては意味がない。いや、理解できないのである。
本来研修するべきはそこなのだと私は思うのだが、なかなかそこまで見られないことが残念である。
これは以前産業まつりのときに書いたことと同じことなのだが、本来そこにスポットを当てることでお互いがいい関係を保ちつつ、レベルアップするのではないだろうか。

研修や視察に今度行きますと言われれば、その辺を片づけたり体裁を繕うことは簡単だが、本当の喜びや苦労は見えてこない。問題はその苦労をどうやって乗り越えたか、どうやってその喜びを分かち合っているか、そこが大切だろうと思うのである。いい直売所はそれなりにいい人間がいるのである。

今度の日曜日は私たち田代地区の加工部会で研修することになった。
企画から相手先への交渉、バスの手配すべて自分たちでやっているわけだが、今回は個人で経営している有名な豆腐屋さんに、何とかお願いして許可をいただいた。
自分たちで金を出してゆくわけで、お願いした以上は先方に失礼のないように(無理にお願いしているのでそれだけで十分に迷惑をかけているのですが)、できるだけ多くのことを学んでこようと思っている。
その豆腐屋さんも素晴らしい人で、それなら聞きたいことをFAXしてくれという。とっても有りがたいことである。そこで私は質問項目をまとめ送った。いろいろと当日も質問事項はあるだろうが、基本的なやり取りはこれでだいぶスムーズに進むはずである。
そしてこちらの意向が相手先に十分伝わるはずである。
一方的ではあるが、たぶん会員のみんなにとっても豆腐作りの楽しさ、苦しさ、面白さがきっとわかるはずである。豆腐をつくっているからそういう質問はたくさん出てくるのかもしれないし、当然好奇心も人一倍あるからかもしれない。ただ、みんなにとっても産業まつりに参加し、お客さんに加工して売ることの難しさや、お客さんと相対することの楽しさなど体験していただいているから、面白く話が聞けるのではないかと思っている。

そういう一連の流れ、関連性の中ですべては結びついてゆくものであると思うのだ。

だから器をつくることも、種から栽培することも、加工することも、食べることも、飲むことも、ともに時間を共有することも、学ぶことも、遊ぶことも、すべてはつながっているのである。であるからしてそういう流れで物事は考える方がより楽しく学べるのではないだろうか。

酒の味を知らずして美味いつまみは作られないからねぇ。いい相手なくして酒は美味くないし。
そんな感じでしょうか。
【2009/10/20 23:09】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その36
2009-10-15.jpg

昨日の練習風景から。

笛の音の効果音を提供いただき、いよいよ効果音の作成。
提供いただいた音源が良いものだったので、それをパソコンに取り込んで加工する。
必要なところだけを抜き出し、加工し、CDに焼くという作業だ。
最初に取り込んだやつがどういうわけかやたらとハムが多い。
もう一度やり直して手を加える。

いつものことだがこのソフトには感心する。切ったり貼り付けたり、消したり、修正したり、マウス一つでやれるのである。当然昔のカセットみたいなヒスノイズなどは皆無、今回のハムは出力側に何らかの問題があったのだろう。とにかく時間がかからないこと、目で見れること、音質が劣化しないことなどいいことづくめである。
昔はミキサーにつないでテープを回しながら作ったものだ。
テープも繋ぎ合わせたりしてね。でも今は物をつなぐのではなくて、中身を目で確認しながら繋いでゆく。ある意味マトリックスみたいな世界だ。
便利な時代になったものだ。そんな便利なものも日々変化してゆくから、こっちも遅れないようについてゆく必要も出てくるが、興味があればそれも楽しかったりするのである。

という事で、作った音をパソコンのちっぽけなスピーカーでモニターしつつ、脚本と合わせてゆく。
それにしてもパソコンのモニタースピーカーは小さくても幅広い帯域で音が出るようないいスピーカーは出ないものだろうか。モニタースピーカーとして通用するようなものが。

音源をモニターしつつ、この部分はエンディングに使えそうだぞ、そのフレーズが心に響く。
そこでモニターしつつその箇所にマークする。音の中身にマークする?そんなこともできるのですよ。
で、その部分を切り取って前後を加工する。これでOKだ。
自分で読みながらタイミングを合わせ効果音を流す。
その瞬間目に涙がうるんでくる。
田中茂の手の内にまんまとはまった。そうかこの物語の言いたかったことはこれなんだ、笛とギターの奏でるその音と、権ずの言葉がやさしく、温かく心の中に響いてくるのである。

この音源を提供してくれた方がそういう使い方を知って貸してくれたものなのか、それは知るすべもないが、とにかくそれはこれでいいのだ。あくまでも私なりの解釈ではあるが、これでいいのだ。

演出の南野氏は言う、昔話は面白いよ。今回の脚本で少しわかりかけた気がする。

最後の権ずのセリフはこうだ。 そら、俺が家までしょってやるだぞ。(ひょいとおげんを背負う)ほんに、ええ月夜だでや。 このセリフで幕となる。
この脚本には効果音はここには出てこない。しかし南野氏は私にここに何かがほしいと、一言う。
そこで作ったのがこれなのだ。
今は亡き田中茂脚本と南野演出そこに何かお手伝いすることで一人でも多くの観客の心を動かせるなら。それは芝居に係る人間として本望である。

自己満足かもしれない。でもこれはいい。このストーリーの持つ意味がこの最後のシーンと効果音で心を、そして目頭を熱くさせるに違いないと私は感じるのである。

そしてそのできたてのCDを持って練習へ。音を聞いてもらいながら、私なりに感じたこの物語を、キャストの面々と語り合う。演出の南野が言う。そう、この最後のためにこの物語はあるのだと。

早速練習が始まる。最初のページからから音を入れての立ち稽古である。相手としっかり会話をしなさい。何度も何度も同じセリフが繰り返される。練習に入るとベテランたちを持ってしても、やり直しの連続だ。今までとは違うハードルをまた一つ超えなくてはいけない稽古がすすめられてゆくのである。
【2009/10/15 19:54】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
夜明けの宮古駅
2009-10-13.jpg

早朝宮古に行く用事があったのでついでにお気に入りの場所で撮影。
いつ見てもこの駅の雰囲気は実にいい。さまざまな思い出がよみがえるからなのかもしれない。
なかなか朝日が昇る前にここに立つことはないのであるが今日は特別だ。

この三鉄の列車いや、正確には単車?今や列をなさなくなったローカル線だが、ここで豊川悦司主演の映画 傷だらけの天使のエキストラで参加させてもらったことがある。
バスから降りるシーンと三鉄に乗り込むシーンである。
残念ながら私の姿は出てこなかったが楽しい思い出として記憶に残っている。

劇研麦の会のメンバーがエキストラ等で映画やドラマに協力要請が来ることは多々あるようで、ドラマでも会員の顔を見ることがある。

しかし、出会いならいいが、別れの場として駅というのは妙にさびしいものである。
今までの積み重ねてきた思い出や生活を列車が遠いところへ引き離してゆくような思いになる。
救いはそこに残されたレールがそこまでつながっているという事だ。
そんな感情を抱かせる駅は他にはない哀愁がただよっているのである。
【2009/10/13 13:01】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その35
2009-10-10.jpg

私たちは働いているから演劇を創る

私たちは忙しい現代にたたかっているから演劇を創る

私たちは立ち止まっていたくないから演劇を創る

劇研麦の会30周年記念誌に記された言葉である。
60年を過ぎた今もなお、なんら変わることなく創られている劇研麦の会の練習風景である。

先人の創りたかった芝居、そしてその不変のテーマをセリフと動きの中でどれだけ観客に伝えられるか、南野演出のこだわりは素直に脚本の中に溶け込んでゆく。
無理に演技を作るんじゃないんだ。その流れの中で自然に言葉に合わせて動くことが大事なのだと繰り返す。

しかし私などはたから見ていてもどちらがどう違うのか、なぜそうなのか容易に判断できない。
それは練習風景として、また気心の知れたメンバーとして見ているからなのであろう。
芝居として客観的に楽しもうと思った時にそれは違ってくる。

舞台の上では全く違って見えるのである。
しかし、練習において脚本を片手にそれはなかなか見えてくるものではない。
そこが演出家のすごいところだといつも思うのである。

ところで今回の音響効果については少々難しい。何しろ過去の音源や楽譜などが残されていないのである。基本的には笛の音だけというものなのだが、何も残っていないのである。
確かに20年以上前のパンフレットには私の名前が入っているのであるが、全く記憶にない。
もしかすると実際に笛を吹いていたのではないかとも思われる。
もう一つの青年大会向けの芝居については私の作ったテープが残されているのだが。

そこで今回は笛の先生から音源を提供していただいたのだが、MDでいただいた。

音響をやっていて困るのは近年のメディアの多さだ。
オープンリール、レコードから始まって、カセット、DAT、CD、MD、DVD、最近ではコンパクトフラッシュとかSDカード、USBメモリなどなど、なんぼ機材があっても足りないよ。

どんどん変わってゆく、その時はそれでいいのであるが、あとで音源を引き出そうとか思った場合は困難を極める。すべての機材がいつまでも動いていてくれないと困るのである。
しかし大事にしまっておいてもだめなのだ、適度に使っていないとどこかしら傷んでしまうのである。

最近はメカニズムの少ないものが出てきたからそうそう壊れはしなくなってきたが、メカのついたものはまずゴム関連からだめになる。かといってその部品などあるわけもなく、それさえあればまだまだいけるはずの機材も多いのだ。使ってみるとタクトスイッチなどの機材は手軽だがやっぱり昔の直接手でガチャガチャやるやつの方が愛着がわいて好きなのだ。

昔、生録だの何だのとデッキとマイクをぶら下げて浜辺を歩いていた頃が今でも懐かしく、あの機械を今でも使いたいと思うのである。
しかしマイクは健在だ今でもイベントでは活躍している。プリモのマイクなのだが、一昨年だったか電池がほしくて問い合わせたところ、その電池はもう作られていないがこのようにして使って下さいと親切にメールが送られてきたことに、とても感動した。いいものはいまだに使われているという事と、20年以上たったものについてもしっかりと応えてくれるその企業であり、その担当者の姿勢にだ。
これには驚く、そしてこれからもずっと大切に使っていこうと思うのである。

そんなことを考えつつ、今回いただいたMDをどうしようかと悩み、実はMDは持っていないのである。
息子のMDウォークマンやら、MDラジカセなどをひっぱりだし何とかコンパクトフラッシュに入れる。それからパソコンにうつして、加工し、再度何らかのメディアに記録せねばならない。
当然あとでも誰かが聞けるものでなければいけないのだ。

はたして、南野氏のイメージに近づける音作りができるのかどうか、まずは脚本を熟読せねばなるまい。



【2009/10/10 21:47】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
なにかと
2009-10-8.jpg

さて昨日のブログについて誤解があってはいけないので追記しておこうと思う。

市長さんが素通りした件についてだが、声をかけていただけなかったことに不満があるわけでも、私に声をかけてもらいたかったわけでもないのである。

この写真はとあるところでの豆腐づくりのシーンである。
豆腐づくりをしているところは何か所か尋ねているが、大抵こんな感じである。農家の圃場を見て回っても同じ状況だ。要するに腰の曲がった高齢者が一生懸命、黙々と作業をこなしている。
しかし注目されるのはリーダーであり、話のうまい人である。
しかし何かを成し遂げようとするとき、特に田舎ほど、黙々と多くを語らず働く人の力いかに大きいことか、ところがこういう人たちは能力があるにもかかわらず、人前には出ようとしない。

だがこの人たちがいなければ何もできないのである。

何が言いたいかというと、こういう人たちにこそスポットをあててほしいということなのだ。

様々なメディアで、声を聞いたり、声をかけてあげたりすることがこういう人たちの元気ややる気の源となるのである。
しいては地域に活力が生まれ、崩壊してゆくコミュニティを取り戻す原動力になると思うのである。

であるからして、特に地域を背負って頑張っているお母さんたちやおばあちゃんおじいちゃんには宮古市を代表する人たちから声をかけていただきたいと思ったのである。

生涯現役で暮らせる社会を作るにはそれを必要とする環境が必要なのではないだろうか。

それは、やってよかった、その達成感を味わうための誰かの一言が必要なのだと思うのである。
【2009/10/08 21:44】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田中茂と劇研麦の会 その34
2009-10-7.jpg

今年もまた劇研麦の会の定期公演が近づいてきた。
今年の公演は11月8日(日)、あと1カ月というところだ。

今年は今まで長い間利用させていただいていた高浜公民館を離れ、磯鶏公民館に練習場所を移した。
今年から使用料がかかるという事で、場所を探しながらの練習である。
財政的に苦しい状況で、芝居をやりたい、長年この宮古の地で続けてきた演劇の灯を消すことはできない。そんな思いで何とかここまでやってきているのである。

つづけられていることの方が奇跡であると私は思う。
そんなことを考えながら練習風景を写真に収める。

今年の脚本は田中茂作、笛吹峠。これも昨年、一昨年同様田中茂が書いたむかしばなしである。
が、笛吹峠は実在する地名である。鵜住居から遠野に抜ける県道.35号線の峠がそれだ。

柳田国男の遠野物語や遠野物語拾遺の中にもこの笛吹き峠が出てくる。
そのひとつがこれだ。

昔青笹村に一人の少年があって継子であった、馬放しにその子をやって、四方から火をつけて焼き殺してしまった。その子は常々笛を愛していたが、この火の中で笛を吹きつつ死んだ処が、今の笛吹峠であるという。

遠野に語り継がれた昔話のひとつなのだが、何とも悲しい話である。
そんな笛吹峠を題材に田中茂が書き上げた戯曲が今度の公演で演じられる笛吹峠である。

田中茂氏が笛吹峠を実在の場所とオーバーラップさせて作り上げたものなのか、内容から笛吹峠とつけたのか私にはわからないが、以前麦の会にいたメンバーには知っている人もいるかもしれない。

内容は姥捨て山(笛吹峠)に捨てられる婆さんと、それを何とかしようとする若者の話である。

今年また二人の新メンバーが加わり、芝居に厚みが出ることは間違いない。短い練習時間の中でどれだけ思い描いたイメージに近づけてゆくか、演出の南野氏の表情は厳しい。

午後7時から9時までの限られた時間、残り数分まで休むことなく練習は続けられている。

それにしても男性メンバーの髪がみんな薄くなったなァとファインダー越しにふと感じる。私も含めてだが。
この作品の公演は1983年(昭和58年)が最初である。この年、和賀町で開催された岩手県青年大会に持っていっている。翌年、海の息子たちよで全国大会の出場が決まり、この笛吹峠と海の息子たちよの2本を定期公演で披露している。

私がちょうど麦の会の門をくぐったときである。それからでも既に26年経過しているのであるから当然といえば当然の現象であるのだ。

【2009/10/08 17:55】 | 劇研麦の会の足跡 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
さてと
2009-10-6.jpg

腰痛で9月は仕事をさぼったつけが回ってきたようで、スケジュールが厳しい状況になってきた。
それもまた充実した楽しさでもあるのだが、時間が迫って来るとイライラもね。

写真は近くのデントコーン畑。今年も昨年同様クマに荒らされています。
昨年補殺したはずなのにまた別のクマがやってきているようです。
昨年はあの記事と写真を載せたせいでえらい目にあいましたが、その影響か今年は銃弾を受けずに済んでいるクマだが、牛を飼っている農家にとっては大変な事態であることは間違いない。

リンゴや桃の農家でも同様、その損害はとてつもなく大きい。
単純に保護だけでは農家はやっていけないのだ。かといってこれという対策もなく、やっぱり補殺以外にないというのが現実だろう。 最近は人が襲われる話も多く聞くようになった。
もうクマは里に住んでいるといっても過言ではないのだ。しかし子供を守ろうとするその本能が危険すぎる。ちなみにとらえたクマを罠から誰が開け放つのかという話をされたことがある。とても怖くてできないのだと。

話は変わって、産業まつりでのこと。新市長が各ブースを見学していた。となりのコーナーでは時間をかけて見たり、説明をしたりしていた。当然ここにも来るのだろうと我々は思っていたのだが、そこには我々が存在していないかのように、通り過ぎて行った。
別に何を期待するでもないが、それはあんまりだろう。
市長選の頃、家で忙しく仕事をしていて、手も汚れているところに来て、握手を求められた。
それ自体意味がよくわからないが、仕方なく握手をする。
そんなことを思い出しつつ、その状況には、みんな一様にがっかりしてしまう。

私がいつも言っていることなのだが、確かに優秀な人が世の中は動かしているのだろう。しかし地域や国を根底で支えているのは、小さな農家であったり、その集落の活動であることは間違いないことだと思っている。リーダーが代ろうが国が代ろうが、そこで黙々と働き、生活し、その地域を支えている現状は不変なのだ。この田代も縄文時代、いやもっと前からそうだったのだ。
そこを見誤ると今回の選挙のようにとんでもないことになる。
自然の摂理に従って生きている人たちこそが救われるべきなのである。

そんな暮らしに身を置いたことのない人たちが何を考えても絵にかいた餅にしかならない。
いま不景気で農業が注目されているが、集団効率化された農業に本当に未来はあるのだろうか。
利益を生めなくなった農地は捨てられ、その後には何が残るのか。

今、この田代で、鍛治ヶ沢でやっている活動は今失われつつある、地域の在り方、その素晴らしさを確認しつつ、ともに手を携え、生涯を夢と希望に満ちたくらしを創造し、理想の集落を目指しているのである。

まあ、我々のそのオーラが足りなかったのか、はたまた、うざい田舎のど百姓にみえたのか、いずれにしても、目立たないところで一生懸命努力をしている人にこそ応援の言葉をかけていただきたいものだと思うのである。それこそがこういう地域を救う道なのではないだろうか。

ということで、クマの補殺記事から一年、人間どこでどんな風に見て、聞いて解釈しているのか、産業まつりを例に、ブログは世界中の人が見れるのだということを前提に、気を引き締めてまだまだ続くのであった。




【2009/10/07 00:17】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
産業まつり終了
2009-10-5.jpg

田代地区の加工部会のメンバーと鍛治ヶ沢産直会のメンバー。
前日はちょっと高齢の方たちで昨日の最終日はやや若手のメンバーで参加しました。

お陰様でたくさんの豆腐を買っていただきました。ありがとうございました。

毎日新聞の鬼山さんに取材していただき本日の岩手版に記事を載せていただきました。
毎日新聞のホームッページはこちら
取り上げていただきありがとうッございます。
一生懸命取り組んでいるお母さんたちを中心にした、加工部会の励みになります。

これからも多くのみなさんに本当の大豆の美味しさ、豆腐の美味しさを広めていきたいと思っています。

会場ではいろいろお褒めの言葉もいただき、ありがとうございます。もっともっと美味しい豆腐を追求し、食卓に笑みのこぼれる美味しさを提供していきたいと思います。
【2009/10/05 12:45】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
みやこ産業まつりにて
2009-10-3.jpg


天気予報よりも早く雨の上がった今日、イベント日和となりました。
屋外ではテーブル席がいっぱいとなり、思い思いに食べ物を買って食べていました。

さて我ら田代地区の加工部会と鍛治ヶ沢産直会の屋内組みはどうかというと、室内での飲食はできないことから、買って食べているお客さんがいないためか、食べ物は出足が鈍ります。
例年通りといえばそうなのですが、描くイメージは行列のできる店。

しかしながら現実は厳しいのであります。が、試食の評価は良く、とりあえず本日の準備した分は完売という事で、ひとまず胸をなでおろすのでありました。

明日は今日以上に売らなければいけないわけで、イベントではいかにお客さんに注目していただくか、そのテクニックというのは数こなしてゆくことにあるのかな。

それでは明日も行列のできる店を目指して頑張るぞ。
【2009/10/03 19:04】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
いざ出陣
2009-10-2.jpg

今稲刈りが盛んに行われている田代から。

大豆も黄色くなり始め、もう時期収穫の時期を迎える。葉が落ちて殻が乾燥し始めれば収穫となる。

さてそんな収穫時期になるとあちらこちらでおまつりイベントが催される。
明日から始まる宮古産業まつりもその一つ。
昨年は大豆がなくて出店できなかった田代の加工部会だが、今年はそんなことがないようにと春先に大豆を確保しておいた。そんなわけで明日からの産業まつりで豆腐が売れるのである。

それと鍛治ヶ沢の産直会でも合わせて出店しましょうと提案、野菜と漬物と豆腐とまとめて田代の新鮮食材を売ることになりました。

田代も積極的に外へアピールすることも大事なのである。それよりも自分たちが楽しむことを優先してるわけなのだが。でもやっぱり私が声をかけて、お手伝いに来てもらうというような図式はなかな変わらないのであります。

2日間の豆腐づくりで開催前に疲れてしまっているのでありますが、明日からの2日間お客様との会話を楽しみつつ楽しみましょう。

私たちの豆腐田楽食べてみればその美味しさ、味の違い誰にでもわかると思われ、とにかくシンプルでいて贅沢な豆腐を味わっていただきたい。
会場はシ―アリーナの中、入って左。
ちょっと天候が思わしくないようですが、室内は快適だし、豆腐には何ら影響ないので、お楽しみに。

豆腐を買ったらついでに野菜やキノコ、漬物とセットで今夜の夕食に。

田代っていいとこだなと感じてもらえればうれしいのです。

明日9時半セレモニー開始、10時オープン。宮古の食や産業を体感しましょう。
【2009/10/02 21:16】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム |