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親父はシェットランド最終話
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馬鹿リュウと親しみをこめて、時に怒りを込めて、そう呼ばれたシェットランドの親父が今日旅立った。

一緒に暮らすということはただ単にどこかでつながっているという事だけなのか。

何か役にったったわけでもなく、時に煩わしさを感じることも有り、ただ何気なく話しかけているだけの日々なのだ。

自分たちが生きている時間のいくらかの時間、そこにリュウも一緒に生きていたそれだけなのだ。

だが、そこにリュウがいないと自分もいないことになる。時間はそこにいるすべてのものが共有しているのである。

これからは共有できない時間になるが、今までは無かったことにはできない時間なのだ。
だから振り返るとそこにリュウがいる。それは自分と密接に結びついているのだ。

記憶のなせる技なのかもしれないが、思い出とともにそこに寂しさや哀しさが付きまとってくる。もう帰ってこない日々へのむなしさみたいなものだろうか。

もっとこうしておけばよかったと思う欲望は果てしないが、今をもっと大事にすることは遅くはないのである。

そして今ここに存在したことはどんな時間だったにせよ無駄なことではないはずなのである。

リュウよさらば。又何処かで会おう。




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【2011/09/30 21:22】 | 親父はシェットランド | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
明日、アレアレアの生歌聞けます。
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収穫の秋、稲刈りが始まりました。

いよいよ産業まつりも明日に迫り、久しぶりの勘を取り戻しつつ豆腐づくりの最中です。

アレアレアのお二人も宮古に来てブンブンミツバチのうた、そして産直の子供たちによる踊り、午後一時から出演です。実に楽しみであります。

その後、西が丘方面の仮設住宅に移動販売車とともに、お伺いします。

ついでに豆腐ステーキもいっぱい売れることを願っています。そして産直組合はイカのポッポ焼き。
会場に来たら、是非お立ち寄りください。正面入り口のすぐ左が私たち加工部会のテントです。

今年のみやこ産業まつりはすごいことになっておりますよ。

仮設住宅のある各地域から無料の送迎バスが出るようです。
ステージイベントへの参加アーティストも多数、夜の8時ころまで通してやるようです。

出店数も駐車場いっぱいに並ぶようです。

農作業も忙しいのにイベント続きで、難しい選択を迫られる日々である。

で、来週行われる宮古商人復興市の企画の立案中。末広町、中央通り商店街の合同イベント。
出崎産直はいつも通り、今年もこの日に合わせて収穫祭を開催します。(10月9日)

震災はありましたが、いつも出崎産直を利用しているお客様に感謝をこめて収穫祭を開催することが決まっております。詳細は追って、このブログと出崎産直のホームページにてお知らせします。

秋の一日お客さんが満足して楽しんでいただける企画を用意しますのでお楽しみに。


【2011/09/30 07:48】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
豆腐づくり再開なのだ
女郎花の花で蜂や蝶を待つ女郎蜘蛛

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何種類かの蜘蛛をまとめて女郎蜘蛛と呼ぶ場合があるようであるが、この蜘蛛はナガコガネグモという種類のようだ。
私自身黄色くて縞模様の蜘蛛はみんな女郎蜘蛛だとばかり思っていた。

この辺りでは機織り蜘蛛と呼んでいたような気がする。獲物が触れた瞬間巣を前後に揺らす動作が実に面白い。

でもよく見ていると蜂や花アブなどは巧みにこの巣をよけて蜜を吸っている。お互いに生きる為に必死なのだ。

さて、産業まつりに出崎産直のミツバチが行動を起こすことは書いてきましたが、私の住む田代の加工部会も出店します。

例年通り豆腐のステーキ味噌ソース仕立てです。

今回は外のテントでの出店。ほかの豆腐田楽屋さんとは比べることは恐れ多いのですが、私たちなりに自分たちの地域で作った大豆を使い、極上の味わい深い豆腐を出しますので食べていただけたら幸いです。

夏になって豆腐の製造を私休んでおりましたが、これを機会に豆腐製造を又再開しますので宜しくお願い致します。

この間要望にこたえられず申し訳ありませんでした。

10月の第2週よりこだわりの木綿豆腐を再開いたします。

ちなみに今年の大豆はいい感じで来ていましたが、先日の台風の影響ですべて倒れてしまいました。
実にショックです。これ以上激しい雨が降らないことを期待しています。

で、こんな感じです。豆は充実したいい豆になっているのに。

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何しろ豆腐は豆づくり、畑づくりからスタートし、虫と病気の対策をしっかりやることから始まるのである。

春にリュウホウでの豆腐を作ってみた。それなりに甘くておいしいが、岩手のナンブシロメも負けていませんよ。
好みの問題ですが、ナンブシロメの評価は高いのである。
豆腐が全部同じ味だと思ったら大間違いで、大豆の品種とにがりの組合せで全くと言っていいほど違います。

そういえばうちの酒にうちの冷奴じゃないとだめだと舞っているお客さんもいるとか。

好きな人にとっちゃ豆腐は特別なものなのだ。日本に生まれてよかった。豆腐万歳。
【2011/09/27 19:25】 | 隊長の豆腐道 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
事務長と隊長のミツバチプロジェクト エピソード3
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ブンブンミツバチダンスの練習が開始され、いよいよ産業まつりの準備も着々と進んでいるようであります。

私写真撮影があるのでと踊りには出られない話を持ち出しひんしゅくを買っております。だって踊りがめちゃくちゃ下手なのであります。以前演劇でミュージカルに出てあとで見たビデオにショックを受けたことがあったのです。
以来、踊りはやってみたいけど絶対封印なのであります。

それはさておき、アレアレアのお二人から踊りのビデオが送られてきました。当のご本人たちが踊って録画したもので、そこまでやってくれるとはますます感動であります。

さてさて、話は衣装の件でしたか。産直のキャラクターをあしらったTシャツを用意しようという事で、そのためには産直の顔となるとってもかわいいミツバチが必要だし、さりとて自分たちの能力はたかがしれているし、しかし私も若い頃は漫画的イラストにはまってた時期がありまして、自分は描けないけどこの先生にお願いしてみたいという願望は以前からありました。

そんなことで宮古出身の漫画家で佐香厚子先生を私から一押しで事務長に推薦。

早速ホームページをチェックし、コンタクトをとメールアドレスを探しだしたものの、事務長曰く、直接電話してみよう。と同時に受話器を手にしていたのであります。全くすごい人であります。

そしてなんと、それでは今からそちらに伺いますとの約束、あれよあれよという間に私の車で一路盛岡を目指していたのであります。

それにしても先生突然押し掛けて申し訳ないやら、とっても有りがたいやら、事務長のGPSでとにかくお話を聞いていただこうと走るのであります。

バラの花につつまれたおうちで快く出迎えてくれた佐香先生、ミツバチもいっぱい集まってくるだろうな。

今までのいきさつを聞いていただき、引き受けてくれたのであります。また一つミツバチが花粉を運んでくれたようです。

そして短い期間の強引な要求に、先生が応えてくれました。

いよいよここで発表していいですか事務長。内緒でちらっとお見せしましょう。コピー、複製は絶対にしないようお願いします。

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こんなに可愛くていいのでしょうか。素晴らしいです。新しい産直のキャラクター誕生の瞬間であります。

毎日感動がいくらあっても足りないほど感動の連続であります。

それではイラストを描いてくださいました佐香厚子先生のホームページをご紹介します。

バラとワンちゃんと猫ちゃんの好きな先生のサイトはこちらです。是非ご覧になってください。

歌と踊りとキャラクターとトラックとみんなまとめて10月1日産業まつりの会場で御披露できることになりそうで、子供の頃の運動会や遠足の前の日みたいな気分を味わっている隊長なのである。

事務長、風邪早く治してください。


【2011/09/26 20:57】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
事務長と隊長のミツバチプロジェクト エピソード2
春に咲くはずのキンリョウヘン(東洋ラン)の花が

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日本ミツバチの分蜂群を引き付ける匂いを出すキンリョウヘンは、日本ミツバチ愛好家にとっては無くてはならない花となっている。昨年秋に購入したがどうもおかしい。匂いもよく観賞用としても使えるからまあいいか。

日本ミツバチにぞっこんの私たち、出崎産直まで巻き込んでお店の中までブンブンミツバチ状態になってきました。

ますます、野菜や果物やお花を作っている農家さんのお店みたいになってきましたね。で、ブンブンミツバチのうた、事務長が利用許可をいただけるようコンタクト開始。何しろ事務長の行動力には驚かされます。
その行動力でミツバチに8か所も刺されて大変な目にあった話はそのうちに書くことにして。

早速アレアレアのリノさんとユキさんさんからお返事いただいたのであります。

”この度はとても素敵な企画に私達の音楽を、と仰っていただきとても光栄に思います”

そして、ホームページでトラックの写真を見て、とってもかわいい、曲とぴったりなどの感想。
音源を送ってくれるとのお話。

”このようにお声をかけていただき、とても2人嬉しく思っています。
いつか演奏にも伺えたら(その時はぜひ振付けも!)とも思っています♪
宮古の方達にもお会いできたら嬉しい。”

というお返事でした。

ミツバチがいつしか横浜まで花粉を運んでくれたのです。

ここでミュージシャン、アレアレア(Arearea)のお二人について触れておかなければいけないのですが、私が書くよりもオフィシャルホームページをご覧頂いた方がよろしいかと思いますのでこちらをご覧ください。
そしてアレアレアの公認ファンサイトはこちらです。

お二人は3.11の震災の支援活動も行っており、ユカタプロジェクトやポカポカプロジェクトなどにも取り組んでいます。

さて、その後の情報交換を重ね、スケジュール調整を行い、いよいよアレアレアのお二人が宮古に来てくれることが決定しました。

日程は宮古産業まつりに合わせて、10月1日、更に、ステージで午後1時より歌っていただけることも決定したのであります。産直組合の子供たちにも一緒に踊っていただきます。

そして移動販売にも同行していただけるようです。

移動販売車とお店のほうでこの曲を流していますが、お客様にも評判がいいのであります。そして生産者の皆さんはお店で畑で皆、口ずさんでいます。

ついつい口ずさんでしまうんだよな。この曲かけて走っているから誰もが耳にするし、多くの子供たちに楽しんで踊ってもらいたいのであります。

ちなみに明日、練習会だよ。

そして次は踊りの服装はどうしようかと考える事務長と隊長なのであります。ミツバチプロジェクトは当のミツバチをよそにとんでもないことに。










【2011/09/24 18:42】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
事務長と隊長のミツバチプロジェクト エピソード1
コスモスの咲く秋

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キャラクターを日本ミツバチに決めたからには早速、出崎産直=ミツバチをPRしなければいけないのである。

そんな矢先、移動販売の話が持ち上がった。それじゃあトラックの絵はミツバチに決まりだよね。
ミツバチが花粉を運ぶように野菜や果物やお花を運ぶのである。

絵はどうしようかと二人で考えていると、普及センターの加藤さんがひょっこり現れた。加藤さんミツバチの絵を描いてみない?二人で半ば強引に押し切ってトラックの絵をお願いする。
そして出来上がったのが以前紹介したトラックの絵。製作時には普及センターの女性陣が交代で応援に来てくれました。上出来だね。

仕上げは音響。カーステレオとスピーカーの高性能低価格の探すこと。それは私の役目である。
難なく決定し注文する。数日後とりつけて準備OK。

あとは当然のごとくミツバチの曲である。

実はこれが難しいのだ。移動販売に適した詩であり、耳障りではなく、さりとて耳に刺激しなくてはいけないのである。遠くから出崎産直が来たとわかることが必要。
そして元気をもらえる詩と曲でなくてはいけないのである。

これは実にハードルが高い。それを探すのも俺の役目か?トータルイメージは描いているのだからそうなるわけだ。とりあえずネットで色々視聴して見て決めようとキーをたたく。
”みつばちのうた”そのまんまであるがどうだろうか。

みなしごハッチとかミツバチマーヤなどはどうかと思うし、ブンブンミツバチのうたというのが出てきましたよ。

早速その動画を見てみることに。

まず踊りがなんともかわいい。曲のテンポもいい。お早う、こんにちわ、みんなあつまれ、どうもありがとう、なんと詩のフレーズもぴったし。聞いた瞬間感動です。鳥肌に涙、これしかない。

早速その曲を事務長に提案するが、にぎやか過ぎる、詩もそのまんま過ぎるとやや駄目出しされる。こんな曲に巡り合えることは奇跡だ、ここで引き下がるわけにはいかない。

詩を説明しつつ、踊りもあるのだと強引に脳裏にインプット。やがて事務長は誰よりも先に歌と踊りを覚えたのであった。

でも許可なく勝手に使うわけにはいかないし、気持ちよく堂々と曲を流したいではないか。という事で事務長にお願いして連絡をとってもらう事にした。

後にアレアレアのお二人から感動的な返事が返ってくるのである。
【2011/09/22 20:42】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
事務長と隊長のミツバチプロジェクト プロローグ
シソの花で蜜を集める日本ミツバチ。

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新連載のタイトルは事務長と隊長のミツバチプロジェクト。

メロンの受粉作業で腰痛がひどくなり、何とかしようと日本ミツバチに力を借りることになったのがそもそもの始まり。昨年、切り株で作った丸胴に一つの日本ミツバチの群れが入ったことから始まる。

受粉を事務長に手伝って頂いたことも有り、そんなこんなでミツバチのことが一つの話題になり始めた。

時を同じくして、事務長が盛岡のほうの知り合いの家を訪ねた際にミツバチの巣箱を見てその可愛さに一目惚れしたらい。

やがて今年の春に向けて、飼育についての情報収集が始まった。ネットの日本ミツバチに関するページを片っ端から見て、本を購入して、盛岡の藤原養蜂所にも足を運んだ。

その辺の話は追々書くとして、そんな話題から出崎産直のキャラクターを探していた我々作戦隊に、日本ミツバチがいいのではないかと事務長が提案、私も目からうろこ?即答でそれがいい。

という事で事務長と隊長がなかば強引に出崎産直のキャラクターをミツバチに。

可愛い、頭がいい、組織力が優れている、秩序が保たれている、働く、作物の着果に貢献している、ミツバチが住んでいるという事は安心、安全のバロメーター、オスは役に立たたない、人間社会の縮図だ、コミュニケ―ションがよく取れている、農業にも自然界にも多大な貢献をしている、などなど理由をあげればきりがなく、そういえばリンゴ屋さんもいちご屋さんも時を同じくしてミツバチを飼い始めたらしい。

実はこのミツバチたちが、やがて私たち人々の絆も運ぶことになるのである。



【2011/09/21 18:42】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その7
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その7

とうに12時を過ぎていた、予定では着かなければいけない時間であるが一向に滝が姿を現さない。

地図を広げ確認するが場所の特定が出来ない、何箇所か同じような方向に流れている場所があるのだ。

ここから先はたどり着くまで進むことだけだ、もうじき着くはずなのだ。そして午後1時を過ぎた。

川が左へと曲がっている。足元に注意を払い歩いていると突然佐藤隊員が大きな声で私を呼んだ、いや叫んだのかもしれない。

何事か私にはわからずに彼の方向を見る。そして彼の視線に促されるように向けた視線のその先には真っ白に砕け散る水と、大きく垂直に落ち込んだ岩の壁が出現した。

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水の落ちる音もまた今まで聞いたものとはあきらかに違う迫力で我々を圧倒する。

我々は息を呑みしばし呆然とその景色に引き込まれる。

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すごい、こんなところにこのような滝があるなんて。心は躍っていた。写真を何枚か撮るが後で見てみると3枚だけであった。
後で悔やむことになるがこのときは興奮していて撮る事すら忘れていたのだ。

カメラは構えてみても滝が大きすぎる。カメラのファインダーに収まりきらない。メモリーカードの容量も少なくなってきていた。

そして何よりも滝つぼの大きさ、深さ、立ちはだかる岩の壁、その両岸もまた垂直に立ち上がる壁となり、ここからさきへ進めなければ大変だ。

やがて感動から一変、不安が襲ってくる。どこを通るかしきりにルートを探す。
一歩間違えば滑落して岩に叩きつけられるのである。

思いザックを背負い、深い滝つぼに落ちることも考えられる。
いつしかここを早く通り抜けることを考えていた。

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写真を撮る余裕すらなくなっていたのである。

そんな折、いよいよ靴底が剥れた。少しだけ付いていたフェルトを剥がすことにした。これで滝の岩を登ることは危険であったが、剥れた部分が引っかかることの方が怖かったのである。

我々は水の落ちている岩の横、草つきの部分にルートをとることにし私が先頭で進む、ミスは許されなかった。
ここでケガをしてもどうにも出来ない、緊張感が走る。

右の壁から草つきへと移動する。下にの深い滝つぼを見下ろしつつ移動すると草の付いている部分は岩の出っ張り部分であった為比較的安定した状態で足をかけることが出来る。

後から息子とRさんが続く、近いと危険なので距離をおくように声をかける。

草つきの部分を登ってゆくと、上部に何とか手をかけられるように岩がへこんでいた。ここに右手をかけ思い体を引き上げる。
何とか一番の難所をクリアし、二人も後に続く。自分が登っているときよりも見ているほうがよっぽど恐怖と不安が襲ってくる。

本来ならこれこそ写真に収めるべきなのだがそのときはそんな余裕など無かった。

中腹で待っている佐藤隊員があぶない探検隊だと何度か口にする。

こんな危険なことなど想像していなかったに違いないのだ。
ましてや安全確保など全くしていないフリークライミングのようなものだったのだから。

しかし彼は一段目の滝を上がったところでビデオを回し始める。
滝つぼと二段目の滝を撮り始めた。そして又壁を登る。

我々は上部からこの滝に見とれた。上から見るとその迫力、落差はさらに増す、わたしはふと、これが伝説の幻の滝なのではないかと思った。幻の滝にもっともふさわしく、紛れも無く我々にとって幻の滝だったのだ。

この先さらにこれ以上の滝が存在しないとも限らない。伝説ではこれよりも大きく記されているのである。

我々はさらに上流へと向かう、続けざまに落差は大きくないが岩で出来た段差が何段にも連なる。そこを抜けるのは岩の壁伝いに歩くことになり非常に危険であった。幸い足がかりになる場所を何とか見つけながら進むことが出来た。

そこから200メーターぐらい進んだだろうか、この辺のところはよく憶えていない。二本の倒木と岩の斜面を流れる川、どこかで見た風景が現れた。

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佐藤隊員が叫ぶ「あの滝だ」、しかしまだ半信半疑のようであったが周りの風景を確認するうちにやっぱりここが写真で紹介されていた滝だと確信する。

一度小学校の頃来た事があったらしい。わたしもまたこの景色は記憶にあった。

しかし先ほどの滝を見てきた我々には感動が薄かった、ようやく目的の場所に着いた割には拍子抜けした感があった。

ここが我々の目指していたところだったのか。

それほどまでにさっきの滝は我々を圧倒し、強烈なまでに脳裏に焼き付いていた。その興奮は未だに残っているのである。

佐藤隊員もそれは感じていた、そして私の説にそうかもしれないと思い始めていたようだった。

この滝で息子のルアーに大岩魚が食いついた。ようやく引き寄せるが手元で流木の中に逃げ込み針が外れた。
私はこの滝のぬしを釣り上げなくてよかったのだと言った。まだこの先は長いのだ。

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ここで休憩を取り、先ほどまでの行程をふりかえる。この場所を見て皆、ここが幻の滝だと言う。果たしてそうなのだろうか?

確かに滝であることは間違いないのだが。

音も違いすぎる。大雨が降ったときなどはその落ちる音が聞こえたという話もあるくらいだ。

先ほどの場所には誰しもが簡単に近づくことなど出来ない。山から降りることすら困難と思われる。幻の滝にふさわしいのである。その岸壁には刀が刺してあるとの伝説もある。だとすれば・・・。

幻の滝をめぐる疑問を抱きつつ、我々は歩き出した。終始話題はこの滝の話であった。

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1時間ほど歩き、漸く木材運搬用の道路とぶつかった。そこから上り坂の道路をひたすら歩く。

体がとっても重い、40分ほど歩くと愛犬のレナと父、と母が迎えに来てくれていた。

心配で見にきたのだという。冷たいお茶を持ってきていた、この時のお茶の美味かったことは忘れられない。疲れを癒した我々は、止めてあった車に乗り込み、昨日の道を引き返した。

そして我々の長い2日間の秘境の地、伝説の幻の滝を探る探検は終りを告げた。

だが我々にはその検証がまだ残されていた。
【2011/09/17 18:10】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その6
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ここで我々が向かっている幻の滝について少しふれて見ようと思う。

この滝をは八瀬滝とこの地域の人は言う。しかし近年、中学生が大人の人達に案内されて何度か行っているようである。記念誌にもその写真が掲載されている。又、タウン誌宮古わが町の滝の特集でも写真が掲載されていた。

ということは幻の滝ではないということになる。皆が見ていることになるのだから。

しかし、あの滝を見たものは二度と帰ってこない、という謂れがある伝説の滝だと記念誌に載っていた。
という事は写真のものは違うのではないかという事になる。

この記念誌には郷土誌稿・多志呂に記された、「八段の瀑布」が掲載されている。
「高さ三十丈、淵の四周、凡そ三十間」。「西岸利刀を以て裁断せる如き絶壁、突コツたる奇岩、嵯峨たる怪石、その間を奔流し、岩に激し飛瀑石を打ちて玉と砕け、散じて雲霧となり、地底に入りては地震う、雄大豪石の気四辺に張りて幽遂脱俗の仙境なり」

私も一度友人とこの沢を上流から調査した。その際写真の光景を上から見ているのである。20数年前であるから記憶は定かではないが多分その場所だとおもわれ、しかしこれがその滝だとは判断できなかった。そしてそこから引きかえしたわけだが、滝はまだ先であろうと二人で話したような気がする。八段の瀑布では無かったと記憶する。

ただ、二段の滝に4本の筋上の飛瀑があった、それで八瀬の滝だと言う説もある。

高さ30丈といえば約90メートル、滝つぼの周囲は三十間、およそ55メートル、八段の瀑布。
絶壁、奇岩、嵯峨たる怪石、散じて雲霧となる。
そして幽邃脱俗の仙境だと書いてある。

はたしてこの先何が待ち受けているのか、未だにその全貌は見えてきていないのである。

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ただ我々は、そこを目指している。そこの着くことを目標に歩いているのだ。そして期待は大きく膨らみ、おおよそ昼には着くであろうと地図から導き出していた。

体と荷物で100キロあまりの重さを支えてきた私の靴底が悲鳴を上げた。接着剤で張り合わせた靴底のフェルトが剥れ始めたのである。これがはがれたら薄い靴底とグリップの利かない靴は危険であり、スピードが大幅にダウンすることは必死だ。

持ってきたビニールの紐で縛ることにした。休憩場所を探しながら歩いていると、前方に浅い流れが見えてきた。
よく見ると一面岩でできた川だ。その上を水が流れているのだ。

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幅は広く、長い距離にわたりその岩は続いていた。私は千畳敷と名付けた。とにかく岩が畳状に段差を作っている自然の作り出した見事な風景なのである。傍らに赤い木の実が秋を感じさせ水の流れに彩を添える。私はすばらしい景色にため息を漏らし、靴底を治すことを止めしばしその場にたたずんだ。

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日頃の不摂生がたたり、靴を縛ろうにも手が届かない。そういえば先週、早池峰登山から帰ってきて逆に体重が増えて いたことにがっかりしたばかりだ。

息子に自分でやれと言われながら、何とかお願いして結んでもらった。

歩き出すと、ほんの少し歩いただけで外れる、何度か繰り返すがやっぱりだめだ。とりあえず気をつけながら歩くことにした。
何とか滝を越えるまで持ってほしいと願っていた。

他のメンバーも大分疲労がたまってきているらしく会話が徐々に少なくなってきている。

佐藤隊員がちょっと甘く考えていたとつぶやく。それどでも山よりは楽かもしれないと行っては見たが、今回は装備が違うのだからよくここまでやってきたと思う。相当疲労しているに違いなかった。

息子は相変わらず腕が痛いといいながら竿を振り続けている。釣りキチもここまでくると手がつけられない。勝手にやってろ、なのだ。

私もまた靴が不安になり気分が滅入ってくる。それにしても次から次へと変る景色に驚いたり感動したりしながら、それはそれで楽しみつつ歩を進める。

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もう昼飯は無い、チョコレートを口に入れ空腹を癒す。

このとき巨大な岸壁が我々の前に立ちふさがることは想像もしていなかったのである。そしてこの靴底が引き起こす恐怖も知りえなかったのである。
【2011/09/14 18:32】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その5
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その5

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我々が今日歩くことのできる時間は限られていた。
既に太陽は傾き始めていたのだ。

歩きながら野営できる場所を探すことにした。もしかしたら今日中に着くかもしれないという浅はかな考えはすでに消えうせていた。

もう無理をする必要もなかった。それより明るいうちにテントを張り、夕食を作ることのほうがいいと判断した。

しかし、テントを設営できる場所が中々見つからない。幸いにも雨は止んでいた。1時間ほど歩いただろうか、木を出す為に作られたと思われる道路のようなものが見えてきた。

少し歩くと川沿いまで続く道路があった。当初テントをはれる場所はいくらでもあると聞いていたのだが釣りをしていて見かけるような小石の川原などは存在しなかった。何しろ大きな岩がほとんどで大水が出ても岩の中を流れるから無いのだと思われた。そして土が見えるような場所はやぶになっているのだ。

もう少し歩ける気はしたが、平らな地面で寝心地がよさそうであることからこの場所にテントを設営することにした。幸い飲めそうな沢水も流れていた。我々は早速テント設営に取りかかった。川の水はこの時期としては透明できれいでるが、上流が放牧地のため飲料にするにはためらいがあった。

着替えを済ませ、飯を炊く、が後で湯を沸かそうと汲んだ沢水を見たら泥水であった。ご飯はもうすでにふきこぼれだした、後の祭りである。まあ死ぬことは無い大丈夫だと皆に納得してもらう。その後はあぶない探検隊のTOSHIが以前富良野に行った土産だといって買ってきてくれたバンダナがあることに気づきそれを使って水を濾すことにした。その後その水を沸かして飲料として使う。
あたりはもうだいぶ薄暗く、肌寒くなっていた。

この場所で一番怖いのは熊だ、里では熊がだいぶ畑のとうもろこしやら果ては産気づいた牛まで襲っているのである。息子は入渓当初から爆竹を鳴らしながらここまで来たが熊の気配は感じなかった。あるのはカモシカの足跡だけであった。逆にこうゆう道らしきところは用心しなければと思いテントに入る。テントを襲われたら逃げ場が無いのだ。
ここは間違いなく熊の巣と呼ばれる場所なのだから。

夕食を済ませテントに入る。私が置いて行こうと言っていた発泡酒と日本酒が出ていた。佐藤隊員は日本酒をそして私たちには発泡酒を勧めてくれた。申し訳ないと思いつつ、汗と疲れでからからになったのどに流し込む。美味い、二人であっという間に二本の缶を開ける。重い荷物を苦労してここまで運んできてくれた佐藤隊員にほんとに感謝なのであった。

疲れていたせいもあり8時頃には寝袋に入り明かりを消す。
しかしテントの下に尖った石がごろごろしていることに気づくがいまさら遅い。横になるとわき腹に、上を向くと背骨に、その石は突き刺さってくる。眠れない長い夜が続く、時折がさがさと外で音がする。熊がきたかと耳をそばだてる、何度か鼓動がはやくなるのを感じつつその音の方向を確認すると、どうやら息子がテントに触れたときこすれる音らしかった。

私は石とテントのこすれる音で眠れない夜を過した。幸い熊はやってこなかった。会うことも見ることも無かった。ホッとした反面残念にも思った。出来ればカメラに収めたいと内心思っていたからだ。

我々は朝飯を食べ、8時を少し回った頃出発した。早く出るにこしたことは無い、いつ着くとわからず、帰りの道路を見つけることが出来るとも限らないのだ。だがもしかのときはもう一泊すればいいとまだ気持ちには余裕はあった。

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「さあ、出発だ今日は八瀬の滝に会えるぞ」、そういって声をかける。しかし昨日の疲れを荷物を背負った瞬間感じた。足も思うように上がらない。「今日は怪我をしないように要注意だ」、皆うなづき無言のまま歩き始めた。

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山中に石積みの道らしき跡を発見する、林業が良かった時代はこんな山奥まで、金をかけ道路を作って木を運んでいたのである。だいぶ国から補助金が出ていたらしい。そんなことを考え、目の前に現れる風景を楽しみつつ、一歩づつ確実に上流へと向かっていた。

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【2011/09/12 19:04】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その4
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その4

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「高さ三十丈、淵の四周、凡そ三十間」。「西岸利刀を以て裁断せる如き絶壁、突コツたる奇岩、嵯峨たる怪石、その間を奔流し、岩に激し飛瀑石を打ちて玉と砕け、散じて雲霧となり、地底に入りては地震う、雄大豪石の気四辺に張りて幽遂脱俗の仙境なり」

語り継がれる伝説の滝は果たして我々にその姿を見せてくれるのか。

しばし休憩ののち歩き出す。休憩をあまりとりすぎることも、かといって疲れすぎるのもまずいのである。

足場の悪い川と岩の間をぬって歩くため、思うように進まない。いやだいぶ歩いたと我々は感じている。もう時計は12時を回っていた。歩き始めたのは8時30分頃であるから、かれこれ4時間近く歩いてきたことになる。

大きな岩の上で、持ってきた昼飯を食べることにする。少しでも軽くする為に、にぎりめしと水だけであった。食べ終えた私たちは地図で場所を確認することにした。木に囲まれ山すら見えない、目標物が全く見えないのだ。そして陽射しよりも薄暗い場所の方が多いのだ。

写真がぶれているのは疲れて息が荒いことと、この川に覆いかぶさる木々の暗さに原因があるのだった。しかし三脚があればと後悔するがもうこれ以上荷物を背負うことなど出来なかった。

場所を確認するために方位にあわせ地図を固定し、川の流れる方向で一致する場所を探すことにした。何箇所か同じような場所があるが、歩いてきたであろう距離で目安をつけることにした。

だが自分たちの歩いてきたと思われる距離と地図の現在地が違いすぎるのだ。それは我々の疲れから来る希望的観測とでも言うのだろうか、後に予想以上に進んでいなかったことを思い知らされるのである。

計画が進む中で近所に住む釣り好きのK氏から我々の目指す滝まで4時間でいけるとの情報を得ていた。
その話はどうも違いすぎると思っていたが半信半疑、実は近いのだと信じたかったことも事実だったのだ。もしかしたら一日で着けるのではないか、怪我もしているし早く帰ることをどこかで望んでいたのかもしれない。

もうその4時間も当に過ぎているではないか、そして5時間が過ぎたそのときである、突然目の前に白い壁が現れた。

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これが私たちの探していた八瀬の滝か?私はもしかしたらと本気で思いたかった。しかし地図から見てもどうにもルートの3分の1すらきていないことがわかる。

しかしこんな場所にこのような滝があることは多くは知られていないであろう。もしかするとK氏の言っていた4時間で着いた滝というのはこのことではないかと我々は思った。

今思えばその考えがますます真実味を帯びてくるのである。
片道でも1日ではつかないであろうこと、4、5時間で着く事が出来、帰ってこれるのであれば、まずこの滝しか考えられないのである。

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これは八瀬の滝ではないのだ。しばらくその景色に見とれシャッターを切る。誰もが簡単には見ることの出来ない滝を眺めつつ、そのわきにルートを探る。今日は日が暮れる前に何とか半分の距離までは歩いておきたいと考えていた。急がねば。

竿を振る息子に急ぐからやめろといい、先を急がせるが、かといって佐藤隊員のことを考えると危険であるからあまり急がせるわけにも行かないのである。息子は山も渓流も小さい頃から歩き、体で覚えているから注意してもお構いなしで岩の上をぴょんぴょん飛び越えていく。そして先に進んではルアーを投げているのだ。

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やがて朝の不安が的中した、確立20パーセントではあったが午後は雷を伴う雨が降るという予報だ。
空がにわかに雲で隠れてしまった。そして水面に小さな波紋が広がり始めた。私は空を仰いだ、雷は聞こえてこない。もし雷雨となればたちまち増水するであろう。そうなればここで雨と増水が治まるまで足止めを食うことになる。そうなれば1日は伸びてしまうことになるのだ。かりに増水したとなれば余りにも移動することが危険となるのである。

まずはザックが濡れ、中の着替えやシュラフ、テントが濡れないよう、ザックカバーの変りに用意させたゴミ袋に荷物を入れることを勧めた。これで何とか雨はしのげる、上着はもとより汗と川の水でぬれているのだから問題なかった。とりあえずいけるとこまで行こうと声をかけ歩き出した。

やがて左の沢に岩の間を落ちる滝が現れた、暗い岩肌を真っ白な水が流れ落ちる。この景色にしばし見とれる。

この場所では感動が何回あっても足りないのだ。

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しかし、ゆっくり楽しんでいる時間は無かった。雨が大降りにならないうちにテントサイトを見つける必要が迫っていたのである。
【2011/09/10 17:24】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その3
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その3 (以前のブログになかった写真が多数おさめられています)

我々の行く手には大きな岩が川を取り囲み、前に進むことを拒んでいた。

転ぼうものならすぐ大怪我をするような鋭利な岩が連なっていたのである。

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私と息子は釣り用のウェダーに登山用のザック、しかし佐藤隊員の装備はゴム底の靴にジーンズ、ザックはキスリングの釣り用のザックであるという。

岩や山道を歩く場合、近年キスリングは使用する人がほとんどいない。荷物は入るが体よりはみ出していると引っかかって歩きにくく、危険なのである。肩のベルトも細かった、長時間の登山用には作られていないのだ。

転んでけがをした時点で靴が滑るであろうことはわかっていた。特に藻や苔の付いた岩はすべるから非常に危険であるし、まして重い荷物を背負っているから転んだときの衝撃は相当なものだ。
命すら危ういのである。

二本の足だけで歩くことはあまりにも不安定である為、私は川を歩きだしてすぐに、腰の鉈を取り出し、細い木を切り、杖を作って渡した。これで3点で体を支えることができ、だいぶ安定した状態で歩くことができるはずだ。

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彼はその後、細心の注意を払い、転ばぬよう進むことが出来たはずである。食い込む肩の荷も何とかしようと考え中身を吟味した。
寝袋、着替え、テントのポール、食料、これらはどうしても必要不可欠なものだった。そして水が2リットル、発泡酒に日本酒これが一番重さの原因であることがわかり、おいてゆくことを勧めたが断られた。
だがやがてこれが終始彼を苦しめることとなるのであった。

我々も同様、この荷物の重さに苦しめられ始めた、岩を超えるたびに汗が噴出し、背中は汗でびっしょりになる。

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やがて川を遡る我々の目の前に大きな渕と岩の壁が立ちはだかった。水量が少ないこの川でこのような幽玄とも呼べるような渕が存在することに驚きしばし呆然とする。

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本来源流行などというものは泳ぐことも考慮して軽装備でやるものなのであろうが今回はそんなことは出来ない。我々は回り込めるルートを探した。検討した結果、左側の山に入り、笹の中を抜けるのが一番安全であろうと判断し、斜面は急であったがそこにルートをとることにした。

登ってまもなく人の通ったような道があった。しかし行く手には人の丈以上に伸びた笹が我々を阻む。これは獣道だったようだ。半ば強引に笹をかいくぐり何とかその壁の上部を回り込むことができた。

この先このような場所がいくつ出てくるのか、果たして超えてゆけるのだろうか不安が胸をよぎる。

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しかしこの不安も打ち消すような美しい光景が次から次へと現れる。やがて沢の合流地点が現れ、その先に細い流れの滝が姿を現す。
私は皆にしばしの休憩をつげ、沢に入りその風景をデジカメに収めた。

細く落ちる滝は静かで繊細な絹の糸を思わせる流れであった。

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【2011/09/09 18:43】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その2
我々は片道だけで2日を要する行程であることから、帰路は車を使うことにしていた。
中澤氏の話から、木を出す為につくられた山道があることがわかり、そこにつながっているであろう道路に車をまず1台置いてくることにしたのだ。

事故はそのとき起こった。牧場の間を通る道路は、牛が逃げ出せないようにところどころに開閉式の柵が設けられている。

その柵を閉めようとした佐藤隊員が、草で足を滑らせ転んでしまったのだ。大丈夫かと聞く俺に、大丈夫問題ないとの言葉が返ってきた、しかし、時折腕を気にする佐藤隊員が気になっていた。だが時間と共にシャツに滲み出してきた血が私の目にとまった。

車を止め、すぐさま傷口を確認する。腕の肘に近い部分が長さ4センチほどに深く割れて開いていた。早速抗生物質の薬を塗り、包帯を巻く。岩場を歩く為に用意してきたものだ。まさかここで使うとは思っていなかった。
幸い出血はすぐに止まったようで、痛みもあまり無いという。

原因は転んだ際にグレーチンぐの角に腕をぶつけたという事であった。
私はやめて病院にいくことを勧めた。傷口の深さから縫ってもらった方がいいのではないかと思ったからだ。だが本人は大丈夫だ。絶対行くのだと引き返す気はなかった。

20数年前の出来事がよみがえる、友人とこの滝を目指す計画をしたとき、調査の為に川に入り、そこで彼は岩で足を滑らせ、ひざの皿を割る大怪我をした。そのときはあまり大きな怪我だとは思っていなかったのだが後日、病院にいき、1ヶ月の入院をすることになった。

またしても我々をこの川は拒むのか、そして私はこの計画を中止するべきか、続行するべきかの決断を下さなければいけないこととなったのである。

この企画の危険なことは彼には十分に説明してきた、それでも彼は参加したいとここまで準備してきたのだ。

この腕が水に触れることは即、細菌の感染をすることを意味する。深い山間で傷口が悪化し、熱でも出たら大変なことなる。骨折でもしていたらなおさらだ。私はやめることを勧めた。だが彼はどうしても行くというのだ。

とりあえず指や腕を動かさせてみる。特に骨や神経には問題ないようであった。しかし何かあっても引き返すには2日あまりかかってしまう、その不安を常に抱え続けなければいけないのだ。当然その間は何処とも連絡は取れないことになるのだ。

しかし彼は引き返そうとはしない、その意思が伝わってくる。
私は止むなく、様子を見ながら進むことに決めた。この判断が悪い方向に向かないことを祈るばかりであった。

車から降り、その車を持ち帰ってもらうために同乗してきた妻と二男の息子に見送られ、我々3人は思いザックを背負い別れを告げた。

そして我々は目的の川を目指し森の中へ歩を進めた。不安はすでに消えていた、これから遭遇するであろう、秘境と呼ばれる地を、この目で確かめられるその期待でわくわくするのである。

程なくするとその道には草が覆いかぶさり、葛の蔓でその先へ進むことが困難となった。背より高い蓬の花粉が体中に降り注ぐ。

我々はこの道を断念し、予定よりも早い段階で川へ降りることにした。距離が長くなるが仕方が無い。藪をかき分け谷を下りる。やがて川の音が聞こえてきた。

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いよいよこの川を進むのだ、このときがついにきた。この先に何が待ち受けているのか考えることよりも、まず一歩づつ安全に進むことを確認し歩き始める。腕の怪我が逆に我々に安全が第一であることを再認識させてくれた。そして、はやる心を抑えてくれたのだ。

やがてなだらかな川は様相が一変する。岩の中を川が流れ落ちているのだった。そして大きな壁が我々の前に立ちはだかるのである。

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【2011/09/08 18:22】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
秘境の地、伝説の幻の滝を探る その1
先日、田代地区の運動会のあと、反省会の席で幻の滝にもう一度連れて行ってほしいとの要望があり、あれからもう何年たつかなァなどと懐かしさも有り、最近探検隊の活動も停滞していることも有り、あの時のことを少し振り返ってみようかと再度アップすることにしました。

当時のブログはすでにサーバーから無くなっているわけで、ネタが尽きたからというわけでは決してないのである。

秘境の地、伝説の幻の滝を探る 2006年9月3日

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私、あぶない探検隊隊長のとってもあぶない企画が特別編成チームを持っていよいよ実行されるときが来た。

探検隊のメンバーに声をかけたが誰一人参加するという隊員はおらず、我が息子を強引にメンバーとして連れてゆくことにした、青年部の支会長佐藤君にたまたま話を持ち出したところ、私も是非連れて行ってほしいとの要望があった、川歩きや登山は経験の無い彼ではあったが、その熱意に負け同行を許可することになった。

メンバーは私を含めてこの三人、行動するにはちょうどいい人数ではあった。

この企画は私が30年間夢に見てきた企画であった。そしてついにその夢が実現するときがきたのだ。

道も無く、ひたすら幻の滝を探し川を遡る、いつたどり着くとも知れず、無謀と言われても仕方の無い探検である。
過去に撮った滝の写真は何処かで見たことがあった。ただそれ以外の情報は皆無である。それをやった人間が一人だけいた、もう80歳を優に超えている人で、若い頃の話だ。たまたま私のうちに来た際に話を聞いた。

一日では着かず、2日を要したと聞く。片道だけの話である。
途中に滝が何箇所も存在することも聞いた。わかることはそれだけである。

山の達人である中澤氏(工芸の会で竹細工をつくっている彼である)にも聞いてみた。帰りのルートは木を切りだしている作業道路をから戻れるらしいことを確認することが出来た。

大き目のザックにテント、シュラフ、2日分の食料、水、そして地図を詰め込みいよいよ我々は入渓する朝を迎えた。何とか2日で山頂に着くことを目標にザックの中身は目いっぱいであった。

※ 昔買った地図を無くしてしまい、ネットの国土地理院で探したところ、今は2万5000分の1の地図が見れるのである。これには驚き、早速使わせてもらうことにした。

空も晴れ渡り、絶好の日和である。天気予報で午後雷を伴う雨が降るとのこと、川で雷雨は非常に危険であるが20%の確立にゆだねることにした。雨に対する準備もしてはあるが不安は内心あった。しかしすべては動き出していた。

ところが車で現地に向かう途中、思わぬ事態が起きてしまったのだ。それは我々が山に入ることを拒み、警告しているかのような出来事だったのだ。

幻の滝はこの山間のどこかに存在する、今まさに踏み込もうとするその矢先の出来事だった。

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【2011/09/07 18:55】 | あぶない探検隊一時退却 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田代の産直その3
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引き続き田代の無人直売所の紹介です。

中里地区から更にさかのぼると亀岳小学校があります。全児童8名で素敵な校舎で学んでいます。
ここの子供たちと先生が育てた野菜を学校の入り口に直売所を作り販売しています。

この収益は復興のための義援金として寄付するとのこと。実にい活動です。
でもライバル店がまたひとつ増えてしまったのだ。結構いい野菜作ってるし、負けられないね。

続いては、君田地区。学校から野外活動センター方向に100メートルくらい走ると左にあります。

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ここの目玉商品は枝豆。以前は鍛治ヶ沢直売所に出していましたが、自分で作っちゃいました。

次も君田地区、永光寺というお寺さんのところ、左側橋のたもとにあります。

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唯一鉄骨造りの直売所です。そして更に200メートルくらい進むと、私たち鍛治ヶ沢地区の直売所があります。

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生産者11名で出品しています。ここの直売所はあまったものを売るというよりも、農業の中の一つの取り組みとして運営しております。鍛治ヶ沢ブランドの確立を目指し、地域ぐるみで楽しみながら生活することを目的に取り組んでいます。鍛治ヶ沢唐臼の里プロジェクトの取り組みの一つです。

という事で今回紹介した田代の直売所9か所。それぞれに個性豊かにお客さんを引き付ける工夫をしつつ、ほのぼのと地域の風景に溶け込んでおります。

無人という事もあって金額をごまかしたりするお客さんも中には入るようですが、田代というのは人の信頼、地域のつながりみたいなものでふんわりと包まれたそんな場所なのである。
こうやって出している人たちの気持ちが変に人を疑ってかかるようなことにならないように、震災の時に外国の人たちが見て感じた東北の人たちの秩序ある行動。みたいなものをいつまでも大事にしていけたらいいと思うのである。

【2011/09/06 12:07】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
田代の産直その2
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田代の小学校と地区の合同運動会も終わり、この田代も収穫の秋へと変わっていきます。

今日紹介するのは前回に引き続き田代の無人直売所です。

佐羽根地区から更にさかのぼると、細越(ほそごえ)地区になります。ここの橋のたもとにあるのがこの直売所。
この地区ではキュウリの栽培が盛んに行われています。

続いてつぎに現れる地区は吾妻(あづま)地区。

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ここは、昔この地を治めていた館跡のあるところ。義経伝説、鶏を抱いて身を投げた伝説などがかたりつがれております。

ここにあるのが、このかわいい小さな直売所。

次が、田老と山口、箱石の合流点となっている中里地区。

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ここ直売所は春から秋の間旬の野菜や山菜が出ています。農業を生業としていない生産者もいて、低価格で販売されている商品も多数あり。なんでも100円の看板が付いていおり、ワンコインで購入できるのも魅力。

まだまだありますが、続きは次回。



【2011/09/05 14:42】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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