活動を始めたミツバチのお話
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福寿草があちらこちらに春一番の花を咲かせます。

いよいよ春めいた陽気になり、わが家の日本ミツバチの活動も始まりました。
ハウスに植えたナバナは、食用、販売用、そして越冬したミツバチたちの御馳走として、一石三鳥なのだ。

いま花のない時期に食べる花があると今後の分蜂に大きく影響してくるのである。
2回から3回の分蜂が出来るのである。

しかしハウスの中は苛酷で、隙間に引っかかるやつ、出口を探して力尽きる奴、花につかまったまま息絶える奴、などなどちょっとかわいそうであるが、花の咲く時期までまだ時間があるからそれはそれで、花を探して力尽きるのであろうと思われる。

さて花につかまって息絶える奴はなぜだろうかと疑問に思い、色々考察してみる。
寿命で力尽きて最後は花を抱えて息絶える。
花粉アレルギーを持っている。
春とはいえ外の寒さに動けなくなってしまった。

1群だけの時は巣箱に戻してやったが、入口のところで死んでしまうものが多かった。
今年は4群となり、どこのやつかわからない、下手によその箱につれてゆくと殺されてしまうのだ。

昨日のように夕方まで暖かいときれいにいなくなっていることを考えると、今日みたいな日は寒いから動けなくなっているのではないかと考えた。

早速花につかまっている奴らを連れてきて、ストーブのそばで暖めてやる。案の定動きが素早く、元気になるものが出てきた。ついでに砂糖水を吸わせてあげる。
一所懸命吸い始める。これは腹も減っているのか。

10匹位連れてきて試してみると、半数は元気になり、腹いっぱい砂糖水を吸った後、元気に巣箱のほうへ飛んで行った。

多分、腹が減って力が出せず、寒さで眠っちゃいかんと思いつつ、眠りについて凍死するというようなことなのではないだろうか。越冬して弱った体でお花畑に飛び出すのは命がけであることが分かるのである。

私にとってミツバチは助け合う家族のようなものなのである。餌をあげて可愛がるペットというようなものではなく対等に助け合って生きている家族なのである。

何しろたくさんの仕事を手伝ってくれるのであるからなおさら、可愛くないわけがない。

冬を越したこの者たちに、砂糖水を作って元気になってもらおうとしている最中である。
ポイントはいかに喧嘩させずに食事をさせるかである。

巣箱の入り口は宜しくない。しかしうちの巣箱は中に給餌出来ない。よって、家の近くまで来てもらって、私の目の届く範囲で食事をしてもらうという事になった。

こっちのやつはここで、あっちのやつはこっちで、何か所かに分けることが望ましい。
たまに他のやつがやってきて喧嘩を始めたら、喧嘩を止めて引き離してやることだ。
ほうっておくとお互いに死ぬまでやり合う事になる。やめろやめろ、などと話しかけながら指で引き離す。
刺されないようにすることが大事だ。

こんな時はものすごい数のミツバチがやってきているから体中をミツバチたちで取り囲まれるが、絶対といっていいほど攻撃はしてこないのである。やさしくよしよし、今あげるからなどと諭すように、砂糖水を追加してあげるのがよろしい。このコミュニケーションの瞬間が実に楽しく、心が通っているなァなどと、自己満足に浸れるのである。

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家がすぐ分かるようにミッキーマウスの看板が表札なのだ。

最初は一匹だけでいい、捕まえて砂糖水を味見させるのだ。すると大抵の蜂は蜜を求めているからすぐに吸い始める。あとは黙って見ている。すると腹いっぱいに吸い終わると、砂糖水の入れ物の周辺を円を描くように飛び始める。これは場所を特定する匂いを撒き散らしているものと思われる。

それから数分後、戻ってくる。同じやつか、違うやつかそこまでは特定できないが、やってくる。
そう、おなじみの8の字ダンスで方角を教えてあるから、あとは匂いで場所を特定するようだ。

やがて次第に数が増えてくる。この者たちの頭の良さに感心しつつ、可愛さになでてやることもできるのである。

幾度刺されても、やっぱり可愛いのだ。
【2012/03/31 21:55】 | 日本蜜蜂部隊結成 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
狸の熟睡?
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採り遅れたナバナの花がどんどん咲き始めた。足早にやてくる春に収穫が追いつかないのだ。
それと、この暖かさで活動を始めたミツバチたちの待ちかねたご飯なのである。

この写真には10匹ぐらいのミツバチが写っているはずだ。ハウスの中は日本蜜蜂の楽園と化しているのであります。
しかし、外に出れずに死んでしまうものも多数。生きる為に命がけである。

そんなミツバチの様子を見に歩いていると、さっき通り過ぎていったはずの場所に狸が丸くなってうずくまっている。
これは死んでいるのだな。手に持った支柱で背中のあたりをこんこんと叩いてみる。

やっぱり動かない。それにしても死んだにしては色つやがいいわけで。しばし様子を見ていると、奴がゆっくり顔を持ちあげた。その表情は寝ぼけ顔で、うつろな表情である。
ヨォッと声をかけると、私をようやく認識したらしい。ゆっくりと立ち上がり、藪の中へ駆け込んでいった。

さっきここを通った時は気付かなかったが、奴も気づかなかったか、それとも俺が狸にばかされたか。
あれは狸寝入りではなく、完全に日向で熟睡モードの狸であった。

さて、今ほうれん草が最盛期を迎えているが、うちのほうれん草は一味違う。
当然ながら私のこだわりが反映されたほうれん草である。

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サラダに最適なほうれん草で、ほうれん草特有の味、臭みがないのである。
母曰く、ゆがいたときに濃い緑色のアクが出るのが普通であるが、このほうれん草は色が出ないとのこと。

おそらくアクが少ないのだろう。メーカーに問い合わせたが、成分についは確認していないとの回答。
色も通常の色よりは薄い緑色である。

それではここでほうれん草について豆知識。

ほうれん草は鉄分を始め多くの栄養素が含まれていることはご存じのはず。しかしシュウ酸を含んでいてこれを多量に摂取すると、結石を作るとか、カルシウムの吸収を阻害すると言われています。
そこで、ほうれん草はこのシュウ酸(アク)をとるために茹でて、水にさらして流してしまうことで、美味しく安全に食べられるわけです。

ですから一般的なほうれん草は生で食すことはよくないと言われています。
実際普通のほうれん草は生で食べるには美味しくありません。多分このシュウ酸によるエグミのため。

それともう一つ、硝酸態窒素について、詳しいことは他のホームページで確認いただくことにして、植物はこの窒素を吸収して大きくなります。窒素成分を多く入れた畑の野菜はきれいな濃い緑色に大きく育ちます。
それが美味しいかというと、まずい。保存しておいたときに窒素の多い野菜は腐れる。逆にバランスよく育ったものはしおれるという話も有ります。

この窒素が植物にとって必要以上に吸収されると、野菜の中にため込まれてしまう。特にほうれん草はため込みやすいらしい。多少はそんなことを注意しつつ過剰摂取にならぬようバランスよく食べることが体にとっていいことなのだ。

買う際にもその辺を考慮して、といっても色だけじゃ判断が付かないわけで、この辺が栽培する側にとっても難しいところなのであります。

で、サラダで食べるほうれん草は、さっき、ハウスの中でちぎって食べたが、甘い、そして美味しい。
かつてこんな野菜があったであろうか。トマトやメロンは別にして、そのままちぎって甘い、食感がいい。
葉や茎はみずみずしくポキポキ折れます。

今、うちでの食べ方は、サラダ、焼肉を巻いて食べる、しゃぶしゃぶ、お浸し、などどんな食べ方でもOK。
はまります。

何しろ種が限定販売ですから、市場に出てこない。

出崎産直のみで販売中。一度お試しあれ。









【2012/03/29 15:32】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
いわてデスティネーションキャンペーンて
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いよいよ4月も目前、この宮古にもお客さんが .com 事になろうかと。
しかしながら被災地として注目されるとはおもてなしどころか、逆の立場になっているようで申し訳ない。

浄土ヶ浜は松や桜はいたんだけれど、形は残されているからここにきて気持ちがほっとするという場所になるであろう。

海はすっかりきれいになり、エメラルドグリーンの海に感動するかも。宮古湾内の海もすごくきれいになったことに驚いた。

出崎にも仮設トイレが出来て、しょぼい道の駅ではあるがお土産も売っているし、野菜も、でも観光のお客さんは野菜は買わないのだ。

やっぱり、旅客会社と宿屋がもうかるのだろうか。

さて、今年の旧暦では3月が2回あるという話を直売所で聞いた。なるほど、だからいつまでたっても春らしい日がやってこないのだな。ミツバチも外に出て菜の花の花粉を集めないのが気になっているが、そういう事なのだな。この旧暦というのは日本人の体には実になじんでいるように思えるのだが、子供の頃の年中行事はそうだったような気がする。遠い昔の話なのだ。





【2012/03/26 18:44】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
また一歩前へ
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なあどの産直が本日オープンした。
一年を経てようやくここまで戻ってこられた。多くの人々の努力と協力があればこその結果だ。

昨年の今頃は途方に暮れていたはずだ。

駅前広場、中央通り、そして出崎へ、まだ元の場所へは数十メートル先であるが、昨年この場所を自分たちの手で片づけて、外でもいいからやり直そうと誓った。

昨夜は徹夜でインターネットの接続等の準備。ビールの差し入れと大雪でこの場所から身動きのできない状態へとつづく。事務所のプレハブで寝ようと思ったが寒すぎて、いっそのことネットワークカメラの設定、設置までやるか。それにしてもまったく温まらないエアコンにがっかりだ。

なにはともあれこれほどまでにこの仮設店舗にかかわると、おのずと愛着がわいてくるから不思議だ。
毛布にくるまり目を閉じると、この場所が海にのみ込まれるシーンがよみがえる。そしてまたここに帰ってきたぞ、ここでまた一からスタートだ。

ブラックニッカの香りが眠りを誘う。が背中から体が冷えてゆく。寒くてトイレに出ると降り続ける雪が体を濡らしてゆく。もう抵抗は止めて寝ることよりも明日のためのその一だ。

今回の店舗の面白いところはカウンター席が用意されたことだ。いろいろな話をしていると予想以上の結果が導かれるから面白い。それだけの組合員がいるということも事実である。このカウンターからいろいろなドラマが生まれるんであろう期待が実にいい。

そして私の一押しは、レジと当番がつけるエプロンである。佐香厚子先生が描いてくれたミツバチのデザインを入れたエプロンだ。是非商品化したいものだ。このエプロンは私と事務局長の思いが詰まったエプロンなのだ?

多分海に一番近くて怖いかもしれない売り場ではあるが、その反面この場所だから逆に安全といえる場所かもしれない。ここでやることの意義は大きい。リスクもあるが。

その数日前、陸前高田の米崎小学校を訪ねた。ここでは中学校も同じ校舎に入っているそうだ。
陸前高田はやっと瓦礫がまとめられ、これが片付けば更地となり、それからの復興は早いであろうと思われた。ただ、あまりにも海が近くに感じられる。いや近いのだ。

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ホテルの床下も水があった。このホテルで大パーティーがあった昔のことを思い出す。大人数の中での抽選会の司会進行など楽しいこともあった。そんなことを思い出しながら、でもここは大きく変われる可能性を感じた。

帰り道アレアレアの二人からいただいた”笑顔に会いたい”を聞きながら、そろそろ抱えているものを背中に背負い始めてもいいんじゃないかとふと思う。

国道45号線を走りながら、多くのものを失いすぎたと思う。その反面両手に抱えたものはあまりに大きすぎるのである。

なあど産直に来たら荷物をおろして一休みしてもいいんですよ。

【2012/03/24 21:41】 | 出崎産直はなあど | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
笑顔に会いたい
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寄り添うように羽を休めるウミネコたち。浄土ヶ浜でのワンカット。

さて、昨日は出崎産直組合の総会でありました。
新設の仮設店舗を利用しての総会は、久しぶりに顔をそろえた組合員で中は熱気があふれるのであります。

この総会に合わせたかのように運命的な再会を果たすアレアレアのお二人であります。

多分この曲を一晩中流しながらやってきたに違いない。「笑顔に会いたい」、この曲や活動についてはこちらのページで確認していただくことにして、横浜から春を運んできてくれるであろうこの日はあいにくの泣きだしそうな空模様。

機材を積んで、野菜を積んで、産直についたら、もう宮古に着いているらしいとのこと。

それでは早速、移動販売車のブンブン号と仮設住宅へと向かっていただき、その活躍ぶりをご覧頂こうと私と事務局長でお迎えに。半年ぶりの再開、なんか娘や息子たちが返ってきたかのような(そんなにゃ歳は離れていそうにはないが?)、にぎやかな雰囲気に、正月休みはいつまでか、などとつい聞いてしまいそうな、そういや店のほうでやたらのし餅を買っていたりして、中々手ごわいのだ。

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いよいよ販売車とともにお客さんのもとへ、こんなシーンを見ているとなるほど、笑顔に会いたいそのまんまなのだ。みんないい笑顔をしているのである。みんな気づかないうちに笑顔になれる瞬間ってあるのだ。

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ついでにこんな感じで今日も、みんなあつまれ、笑顔いっぱい、なのである。

現実にトラックとブンブンミツバチの歌とお客さんとその場に遭遇した横浜の皆さんは感動とともに歓声が。
こちらこそ、横浜から、春とミツバチと笑顔を届けてくれて、どうもありがとう、なのだ。

でもこんな写真載せて、あとで問題になったらどうしようかと心配しつつ紹介している小心者の私なのだが、このさいついでにどんどん行ってみよう。

総会までもう少し時間があるので、浄土ヶ浜をご案内。

そしていよいよ総会、交流会へと進むのであった。

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いよいよ、電気のついた仮設店舗の中ではぎっしりと組合員で埋め尽くされ、年はとってもはちきれんばかりの熱気とでも言うべきか、酒と肴を前に最後のピアノとマイクのセッティングが。

そんなさなか、マイクを忘れてきたとRさん。この前はマイクスタンドで今度はマイクかよなどというようなことは、全く頭をよぎってはいませんが、近くのホテルなので車を走らせる。

そんな瞬間もまた楽しからずや、なのである。

酒で思いっきり酔いたいのだけれど、こっち(ミキサー)もやりつつ、酔いたい、酔えない、そのせめぎ合いもいとおかし、なのだ。

そんなこんなでいよいよアレアレアの歌とともに会場はヒートアップしてゆくのである。

それにしてもあなたたち、ほんとに横浜からきたの、どう見ても産直の組合員みたいに見えるんだけど。

どうせなら組合員に酒をついで回ればと、一升瓶をボランティアの彼らに渡す。どんどん回っていかないとみんなについで回れないよと忠告したと思うのだが、最初のところでつかまって座りこんじゃだめでしょう。

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さて、元気いっぱいなお二人ですが、さすがに歌が始まると引き込まれてしまうのだ。

突如、アメイジンググレイスが流れる。ミキサーのリバーブをコントロールしつつ、目を閉じる。
この一年やってきたことがまぶたに自然と浮かび上がる。
今こうしてこの曲を歌ってくれていることも、ここのこうしてみんな一緒にいられることも。

自然と涙があふれてくる。やさしい歌声とピアノの旋律が体を包み込む。こうしていられることの幸せをかみしめつつ、俺はちょっと飲み過ぎたのだ。

かくして歌と踊りの熱気に包まれた会場の夜は更けていくのであった。

トイレに電気がつかない。ていうか、トイレに電気がない。女性の叫び声が。
横浜じゃ考えられないことなのだ。

いや、宮古でもおんなじだ、なんでトイレに電気つけなかったの?これは改善してほしいものである。

やがて、2次会場へと移った我々は、明日は早出だとわかっていても、ここは第二のふるさとだからな、などと焼酎の瓶が一本目、二本目、三本目と横になってゆくのである。

その後のことはお二人のページでお確かめあれあれあ





【2012/03/18 21:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今を見つめて
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叔父の墓参りに山田へ向かう。
思いをはせると涙があふれる。
できるだけそのことは考えないように、今だけを見つめていこうとふるまう。

大沢の岸壁には壊れた船が重なっていた。ここも建物のがれきが片付いた状態で時が止まっているように見える。

寺では合同の慰霊祭が行われていた。お墓には多くの参拝の人。

お墓参りの後、海辺の船着き場と作業小屋があった場所へと向かう。
叔父さんの船がとめてあった。

船は息子さんが沖へ出して無事だった。叔父もその船に向かったであろうはずがすれ違った。
そして波にのみ込まれた。

仮設住宅へと向かう。

仮設住宅は狭く、四畳半は生きるための最小限の空間である。
そこで暮らす叔母は、失われた家族の記録を振り返り便せんに書きつづった。その記憶に驚くが、それ以上にそうさせた現実に涙が出る。しかしその怒りや悲しみ、苦しみはやり場がないのだ。

海に生きる人たちはなおさらだ。田老にも仮設で暮らす叔母がいる。そして福島にいとこがいる。みんな現実は現実として受け止めていた。そして今ようやく冷静にあの日を振り返る。それが余計に目を潤ませる。

また元の場所に戻りたい、でも家を建てることへの意味を見出すことのできない現実がある。

昨夜、酒の席が設けられた。酒をあおりつつ笑いの中で夜は更けてゆく。
その飲み友達もまた家も船もすべて失った。

そこでこんな話が出る。普通に今までと変わらずこうしていられることの大事さ。

たとえモノが流されても命がありさえすれば、そう思う。

みんな今までの普通が取り戻したいのだ。

ただ、みんな限られた命である。今のこの状態が普通で終わらせてはいけないのだ。
ここからまた、幸せに生きてゆくこととはどうあることなのか、支援であれ、復興計画であれしっかり見つめ、考えなければいけないと思うのである。

【2012/03/11 21:47】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
菜の花
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ビニールハウスの中で採り遅れたナバナの花が咲き始めた。
そういえば昨年の今頃はこの花にミツバチが花粉を集めにやってきていた。

今年は寒過ぎて外に出ると戻れなくなりそうで、中々やってこない。というよりもハウスを開放するほど暖かな日が未だにないのである。

さて、シートピアなあどの仮設店舗の話があって、様子を見に出かけた。あれから一年、魚市場は再開し、船が何隻か陸にあげられていた。
この場所は一時期瓦礫の山になっていた場所である。
この場所からはなくなったが、いぜんとして瓦礫処理ははかどっていない。受け入れ先がどうのというニュースは耳にするが、震災直後からボランティアで来てくれている方、ゴミの受け入れなど容認できない方、誰が正しくて誰が間違っているというこではない、それぞれに思いは複雑なのである。

シートピアなあどは、震災後壊れた窓や、入口は塞がれたままだ。

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その手前の駐車場に仮設の建物とトイレが並んでいた。
これが新たにシートピアなあどの再出発となる建物だと思われる。

震災後沿岸を車で移動していると、トイレのないのに困る。道の駅のありがたさをつくづく感じるのである。
という事で、仮設トイレではあるが6つも用意された。
でもトイレは早くウォシュレットのトイレをつくてもらいたいものである。

建物はしっかりと建っているので早く奥のほうのに入れることを望みつつ、当面はここで野菜を売ることになりそうだ。それにしてもありがたいことである。

この場所は海に直接面した場所で、堤防も何もない。海面も近い。ゆえに地震が来たらすぐに逃げる。むしろこういう場所のほうが人的被害は少ないのかもしれない。
想定外であることよりも、想定内にしておくことのほうが大事なのかもしれない。

話は変わって、ブンブンミツバチの歌でおなじみのアレアレアのお二人がやってきます。
産業まつりではステージで歌を歌ってくれて、仮設住宅にも足を運んでくれたお二人が、横浜から春を運んできてくれます。

あれから6カ月、二人の目に映る宮古は変わっているでしょうか。

詳細は、またあとで。
【2012/03/05 17:24】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
暖かくはないけど確実に雪は融けている
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3月だというのに未だにこんなつららが軒先に。

悪い風邪に一カ月近くも悩まされ、気づいてみたらブログの更新も1カ月もやっていなかった。
昨年だったらハウスのナバナはもう花が咲いて、ミツバチがやってきていた時期なのだが、今年は寒さが緩まずミツバチも大変だ。

そろそろ、夏野菜の播種の時期を迎えている。

この3月より出崎地区の産直が1年ぶりに復活するとのこと。とはいっても仮設店舗での再開である。
シートピアなあどの駐車場に今現在建設が進んでいる。仮設のトイレも作るようだ。

どんな形であれ、自分たちの店舗で営業ができるという事はいいことではある。
しかし、いつも来てくれていたお客さんである鍬ヶ崎や築地はご覧の通り被害で、又あそこにお客さんを呼び戻すのは並大抵のことでは出来ないであろう。

店を運営していくにはそれなりの経費がかかるわけで、お客さんの求める産直施設とは何か、しっかりとした目標や目的がなければ厳しいと思われる。

そして、昨年取り組んだ仮設住宅への移動販売が今年も継続が決定した。

地元の野菜を求められていることは間違いないことなのだが、さて生産はというと、シイタケやピーマンの研修に行ってきたのだが、生産量が年々落ちてきている。
高齢化と担い手の問題である。追い打ちをかけるようにセシウムが降り注いだという風評被害である。
風評だけではなく現実の問題でもある。

原発問題について議論されているが、日本の数か所で問題が起きれば、どうなるのかは分かっているはずなのに、選択肢のないような議論ばかりが目立つ。やっぱり他人事なのだろう。

この宮古でも東京電力に損害賠償請求を出すことになろうとは。原発は問題が起きたら、心も体も、経済もすべて奪ってしまうのである。

とにかく風評はさておき、いい野菜をたくさん作ることだ。とりあえず店に物が並ばないことにはおきゃくさんをよべないのだから。


【2012/03/02 17:50】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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