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今年もプーさんがやってきた
2013-8-30.jpg

只今子育て中。

この写真は巣箱から取り出した一枚の巣である。クマに襲われ落ちた巣を取り出し、外で子育てをやってもらっているところなのだ。当然蜜は蜂が回収して巣箱の中へ運び込んだ。あとは子供たちを育て、無事みんな巣から足してやらねばいけないのだ。通常丸胴などではこのやり方で巣を何枚か抜き出し、蜜を採る。しかし写真のように蜜と蜂子が混在するわけで、相当被害も出てくる。この一枚で裏と表に何百から千単位で子供が育っているのだ。
当然一緒につぶすことになる。

蜂たちは外に出された巣であっても、出てきて一生懸命世話をする。生まれた子供はすぐさま、巣穴の清掃を行う。生まれて間もなく働き始めるのである。外の出ている巣板ではその様子をじっくり見ることができる。
この巣には蜜がないから巣箱の中に入れてやることも必要だ。

さて、なんでこういう事になっているかというと、昨年と一日違いで熊がやってきた。
うちのすぐわきのところの巣箱二つが被害にあった。一つは全滅、もう一つは上げしっかりと厚い板で止めてあるからさすがに開けることはできなかったようだが、その爪痕はすさまじい。毎年板が削られてゆく。
山から転がした巣箱の中で巣がはがれおちたのがこれだ。

決まって翌日、食べ残しと、取り残した巣箱にまたやってくる。そんなことでセンサーライトを山道に取り付けた。昨年向かいあってにらめっこした場所に置く。
壊された巣箱はもとの位置に戻す。まだ蜂たちは多くが無事だからだ。
避難させればよかったのだが、ライトで驚くに違いないとそのままにした。

夕暮れも迫り、他の巣箱は一旦家のほうへ避難させる。そんな作業そしていると変な声が聞こえた、そっちの方に行ってみるとセンサーアラームのなる音がする。まだ明るいがもう来たか。でも驚いて逃げただろうと移動作業を急ぐ。そのあと、ロケット花火を何発か打ち上げ、山に音が鳴り響く。

夕飯を食べ、巣箱の様子を見に行く。懐中電灯で照らしたその先に戻したはずの巣箱がない。
やばい、音や光をものともせず奴は確実にやってきた。ひとりで近づくのは少し危険だ、家族を呼んでくる。左手には傘を持つ。クマが襲ってきたら傘を広げるのがいいと聞いた。そんな時間があるかどうかは別問題だ。

爆竹を鳴らす。これなら逃げたであろう。ゆっくりビニールハウスの間を近づく。
左側の山手から熊のうなり声が聞こえてきた。奴は確実に近くにいる。これ以上は近づけないが、懐中電灯でその周辺を照らして見る。どこにいるか暗闇の中の黒い熊は見つけることが困難だ。目が光るはずだが、奴は逃げない。それどころか威嚇してくる。うちの犬とおんなじであげた餌をとろうとするといがまれるのとおんなじだ。

近くから巣箱の様子を見る為に、ビニールハウスの中を通って、戸をあけて隙間からのぞく作戦に出た。
これだけ大きな声で話をしながら、花火も鳴らしながら近づいているのだから問題ないだろう。そう思っていたのだ。巣箱側の戸をあけて懐中電灯を照らした。その瞬間近くの山からうなり声が聞こえた。確実に俺を威嚇しているのだ。すぐさま戸を閉めた。しかし奴が来ればビニールはすぐに穴が開く。これはまずい。後ろから襲われないかと思いながらハウスの中を引き返す。

奴の声はハウスから離れて見ていた嫁と母にも聞こえていた。奴には人が近付こうが、声が聞こえようが、灯りが点こうが、爆竹がなろうが関係なかった。あとは一対一でどちらが退くかそれしかなかった。
しかし、暗闇の中で熊と対峙するのはこっちが不利だ。こっちは視力も嗅覚もかなわないのだから。

とりあえずこの場は引き下がるしかなかった。悔しいが今この状況で諭すことはかなわないのだ。
しかし、家の周りで熊に威嚇されるのは頭に来るのだ。こんな時うちの犬は一向に役に立たない。いや逆に怒らせてもまずいかもしれないが。

奴は私に何を訴えたかったのだろう。初めての出来事でたじろいでしまったが、もっと話し合うべきではなかったのだろうか、もしや子供でもいたのだろうか。昼なら敵意のないことを伝えることもできるのだが。

そんな畑で今日も仕事は続くのであった。

そういえばその翌日の夜救急車が通った。私に家で誰かクマに襲われたのではないかと電話がかかってきた。
でもとりあえず、クマと仲良くお互いのエリアをしっかりと認識してやっていくしかないだろう。
うちの集落(鍛治ヶ沢)では、別の場所でも同時期巣箱が2つ壊され、デントコーンの畑が被害にあっている。
夜は家の周りは熊だらけ、たぶん昼もその辺に潜んでいるに違いない。
人を襲っちゃいけないそのことだけはしっかり守って欲しいものだ。たぶん1頭や2頭ではないかも。
毎年のことだし、威嚇するのは奴もそれなりにわかっているからだろう。

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【2013/08/29 23:31】 | 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
産地直売施設に思う事
2013-8-3.jpg


 オレガノの花とレモンバーム、ビニールハウスに入るとラベンダーとバジルの芳香が漂う。
こんな香りに包まれて育つトマトやメロンはさぞかし美味しいだろうなと思うのだが、ラベンダーの香りのするメロンは未だかつて採れたことがない。ねぎと混植しているメロンがねぎの味がするかといえばしたことがない。
 仕事の合間に心地よい気持ちにさせてくれる効果が一番であろう。

 さて、最近各地の直売所を見て思う事がある。よく見るとその周辺の生産者が作っていない品物が結構あったりする。中にはスーパーみたいなお店もあったりして、お客さんはそれなりに見て買っているんだろうが、それでは何故直売所の施設がこのように増えてきたのかという疑問が湧いてくる。

 本来産直とは産地直売施設の略だと思っている。おそらく産地直売施設の多くは農林水産省、県や市の農林水産部門の補助金(税金)がそうとう投入されているに違いない。それは、一次産業の活性化、利益の確保、農地の維持、地域の活性化、自給率の確保等々の目的に寄るところが大きいはずである。

その売り上げは、生産者に還元され、運営している組合などは運営経費が確保できればいいという仕組みなのだと思われる。ところが運営していくうちに売上を追求し始めるようになってくると、いろんな商売に手を出し始める。販売量を確保するために仕入れを始める。食堂などを始めたりもする。そうなってきたときに本当に、農作業に従事する生産者は幸せになれるのだろうか。一部の営業センスのある?人間のみが利益を上げる構図になっていくのではないか。

 本来の目的はそうではないはずなのだ。1次産業を救う事が目的なのだ。生産者がしあわせにならなければいけないのだ。農地がきれいに整備され、美しい景観が作られなければいけないのだ。

 産地直売所の名を利用して、畑で鍬を持って土をいじることもしない人間がもうかる仕組みになってはいけないことなのである。それは消費者や、そこに税金を投入している国民をも裏切ることになるのだ。
 
 そういう直売所が増えてくれば、そこには生産者がいなくなって行くはずである。本来そこで生涯お金が稼げて、若者がこれならとあとをついでくれる環境を整えなければいけないのである。それは産直運営にとっての目的の大前提だと考える。それを見失ったらその施設は意味のない箱モノでしかない。大手スーパーに負けて終りである。

お客さんが我々産直施設に求めているのは年中同じものがなんでも並んでいることではないのだ。季節の物、旬のものが新鮮に安心して食べられるという事が大事でなのだ。産直施設はもっと第一次産業に従事する人たちのための経営に立ち返るべきであろう。地元の生産者を利用して儲けようなどとはもってのほかだ。

 

【2013/08/03 18:41】 | それってどうよ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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