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in 劇研麦の会の足跡

田中茂と劇研麦の会 その28

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劇研麦の会は今年で60周年となるが、40周年の記念誌発刊後の20年間は、まとまった資料がなく、現在記念誌の編集にとりかかっているところである。
そんなわけで、私もその期間携わってきた割には記憶があいまいで、まして何時、何を公演したかなど全くもってわからなくなっている。そこで現在編集やら公演やらの準備に取り掛かっている現会長、田代美津子氏のもとを訪ねた。

今年の公演にあたって、内容も小学生にもわかりやすい昔話であることと、小中学生は入場無料であることから、見に来ていただこうということで案内の作成に追われていた。

私は昨年まで書いた第45回定期公演以降のパンフレットを見せていただき、カメラに収めてきた。
コピーは相当の枚数となるため、写真にしたが読み返すのはなかなか大変だが、少しづつその足跡を振り返って見たいと思う。

昭和60年 林黒土のおかめ を定期公演で取り組む1ヶ月前、会員仲間の多出村宣夫脚本による 海 で第34回の青年大会に出場している。忘れもしない私の初舞台である。
岩手教育会館での大会であった。
そして翌年、同じく会員の木村佐登美脚本の漁師の女房で岩手県青年大会に出場。
第35回の定期公演ではこの脚本と田中茂氏の俺たちの濃霧警報が上演された。

青年大会という登竜門的舞台を目標に、若い世代が自分たちの手で田中茂の後を担ってゆこうとする、新しい劇研麦の会の誕生であった。
そんな若者たちを田代鉄男はあたたかく見守り、演出のバックアップを行った。
田中茂氏は体調がすぐれず、一線からは退いていたが、もう一度という言葉のように、青年大会向に俺たちの濃霧警報を書いたのではなかろうか。
さらに翌年の昭和62年には会員 坂下昇 脚本 雨 で青年大会出場、11月には創立40周年記念として、ミュージカル 船はふたたび が上演される。

劇研麦の会にもミュージカルなるものがあったのである。この作品のもとになっているのが吾市は死んだ、田中茂のを一躍世に知らしめた作品である。
音楽を担当したのが早野友耕、劇研麦の会の数々の名曲が誕生したのである。

私もこの時の舞台にはキャストとして参加しており、振付を現代的にということで、ジャズダンスを元に振付がされた。踊りの苦手な私にとって、人前で踊るなどとてもじゃないが口から心臓が出そう?な状況であった。そして何より最初の踊りのあとすぐ、女の子をからかい、尻を触るシーン。
そんなこと簡単にはできませんよ。
音楽はオーケストラピッドで早野氏率いる楽団の生演奏。
当時は若い世代も多く、20代前半のメンバーだったと思われる。
このときは、記念公演ということで、当時日本アマチュ演劇連盟協議会会長 原千代海氏をはじめ、多くの方に来ていただき、公演終了後、40周年祝賀会が行われたのである。

発足以来40年と云えば聞こえはいいが、考えるとまったく薄氷を踏む思いの歳月であった。然し馬齢40年、いろいろな思い出は尽きない。と田中茂氏は40年の歳月をふりかえる。
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