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in 劇研麦の会の足跡

田中茂と劇研麦の会 その37

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2009-10-22.jpg

近くの川で秋の心地よい色彩を楽しむ。鍛治ヶ沢っていいところだよね。

さて、劇研麦の会についてだが、昨年は道化師たちの雨、そして翌年第49回定期公演のところまででした。
道化師たちの雨を全国大会に持ってゆくその前に行われた、昭和63年定期公演のパンフレットの中に田代鉄男氏はこう書いている。

麦の会第48回定期公演は41年目という新しい出発のラインでもあった。 40年間、会の大黒柱として我々を支えてくれた田中茂さんは、9月14日69歳で人生の幕をとじた。本当に悲しい出来事だった。
 元気な体になって病院を出たら”もっともっと作品を書き、芝居を創ることに情熱を燃やしたい”と張り切っておりました。その中には市民総参加のミュージカルの創作など果てしないロマンを追い求めておられました。その田中構想も星屑のようにくずれさった。
 自称、馬のような長い顔、長い腕と足、そして指先、長いものづくめで私たちをやさしくつつんでくれた田中さん。けっしていばらず、いつもひたむきな姿勢は私たちの鏡でした。あるときは”田中先生”と呼ぶと”やめどがんせえ、似合わないでば”と言っていたものでした。でも公演先に行って、プロの劇団に顔を出すと、年輩の役者さんたちから“先生”と呼ばれるのを聞くと周りにいる私たちまで偉くなったような気分になるのでした。やはり田中さんの存在感が余りにも大き過ぎることの証明だったのだろう。飄々とした体軀は、今は亡き民芸の宇野重吉さんと同じで宇野さんの生きざまに感激し、これからの芝居創りは原点にかえって、芝居のあり方、書き方、演出の仕方、演技の創造など、熱っぽく語って居られました。
 第48回公演は、会員の坂下昇が書き、演出をして初声を上げた。同作品は11月4日全国大会で上演されるがこれを糧として今後もがんばってほしい。期待するところ大である。
 麦の会のあとを受継ぐ私共は、田中さんの偉大なる業績には到底、足元にも及ばない。しかしいつの日か追いつき追い越すことを目標に、がんばるしかない。”どうだえ、元気でやってるすか、オレもこっちで書くのは初めてだから忙しくてね”こんな楽しい心はずむ便りが宇宙から舞いこんでくる日を待ちつつ・・・・・・。
 先生ありがとうございました。
           合  掌

ここに、田中茂と田代鉄男の芝居にかける情熱、劇研麦の会が目指してきたものが見えてくる。

しかしこの数年後、唯一脚本を手掛ける会員の坂下昇が会を去ることになる。
田中茂亡き後、田代鉄男の求める芝居と坂下昇の目指す方向性の違いが、若手の脚本家坂下昇の苦悩となるのである。

それはこの文章中からも感ずる部分がある。田代鉄男は田中茂という男の偉大さにほれ込み、彼の演劇人生は田中茂なくしては語れない。それは宇宙の果てまでもである。
おそらく今、田代鉄男のいう宇宙で、二人はいや、大竹伸治との3人は芝居創りに忙しい思いをしているに違いない。

田中茂を失った麦の会は、このあと田中作品とともにいろいろな脚本家の作品に取り組み出す。
それは田代鉄男が、田中茂とともに培ったものをベースに、どんな芝居がやれるのかというあらたなチャレンジであった。
屋台骨を失い、麦の会がこの後存続していくためには、会員そして観客にとっても新しい何かが必要になっていたのである。

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