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in 唐臼の郷 鍛冶ヶ沢から

今を見つめて

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叔父の墓参りに山田へ向かう。
思いをはせると涙があふれる。
できるだけそのことは考えないように、今だけを見つめていこうとふるまう。

大沢の岸壁には壊れた船が重なっていた。ここも建物のがれきが片付いた状態で時が止まっているように見える。

寺では合同の慰霊祭が行われていた。お墓には多くの参拝の人。

お墓参りの後、海辺の船着き場と作業小屋があった場所へと向かう。
叔父さんの船がとめてあった。

船は息子さんが沖へ出して無事だった。叔父もその船に向かったであろうはずがすれ違った。
そして波にのみ込まれた。

仮設住宅へと向かう。

仮設住宅は狭く、四畳半は生きるための最小限の空間である。
そこで暮らす叔母は、失われた家族の記録を振り返り便せんに書きつづった。その記憶に驚くが、それ以上にそうさせた現実に涙が出る。しかしその怒りや悲しみ、苦しみはやり場がないのだ。

海に生きる人たちはなおさらだ。田老にも仮設で暮らす叔母がいる。そして福島にいとこがいる。みんな現実は現実として受け止めていた。そして今ようやく冷静にあの日を振り返る。それが余計に目を潤ませる。

また元の場所に戻りたい、でも家を建てることへの意味を見出すことのできない現実がある。

昨夜、酒の席が設けられた。酒をあおりつつ笑いの中で夜は更けてゆく。
その飲み友達もまた家も船もすべて失った。

そこでこんな話が出る。普通に今までと変わらずこうしていられることの大事さ。

たとえモノが流されても命がありさえすれば、そう思う。

みんな今までの普通が取り戻したいのだ。

ただ、みんな限られた命である。今のこの状態が普通で終わらせてはいけないのだ。
ここからまた、幸せに生きてゆくこととはどうあることなのか、支援であれ、復興計画であれしっかり見つめ、考えなければいけないと思うのである。

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